第6章 親鸞聖人と仏教精神

親鸞聖人の教えは、時代と様式こそ釈尊とは違っていても、仏教の真の精神の復興と見なすことが出来ます。聖人が理解し解釈された仏教は、その早期の伝統とつながっています。この大切なつながりは、真実の探求に重点を置き、迷いを立ちきる知恵の剣と、仏教的生き方を起こさせ、救いが普遍的なことを明らかに示す、限りない慈悲の条理とから成っています。

知恵の剣

 親鸞聖人の宗教的信仰は、日本では、師の法然上人と中国浄土教の高僧、善導を通して釈尊に遡ります。聖人の弟子の唯円房が編さんした素晴らしい宗教古典である歎異抄の第二条に、この親鸞聖人の宗教的信仰上の系統が、詳細に引用されています。「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず」。(現代語訳、「もしも阿弥陀さまの衆生救済の願いが真実であるとすれば、そのことをあの『三部経』という経典で説いたお釈迦さまがまちがっているはずがありません。137頁梅原猛校注・現代語訳、歎異抄、講談社1972年4月15日、第一刷)。この一節は親鸞聖人の出発点を仏教の高僧毎に、筋道を立てて辿っており、そのとき聖人が言われたことは、「仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言しまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらうか。」。(現代語訳、もしも『三部経』におけるお釈迦さまの説法が間違っていなかったならば、それを正しく解釈した善導大師の注釈書が間違っているはずはありません。そして善導大師の注釈書が正しかったならば、その善導大師の注釈によって正しい念仏の教えを説かれた法然聖人の言葉が偽りであるということがありましょうか。もし法然聖人の教えが正しかったならば、私があなた方に申しました念仏往生の教えもどうして間違っていましょうか」。137頁梅原猛校注・現代語訳、歎異抄、講談社1972年4月15日、第一刷)。親鸞聖人は、ご自分が釈尊の教えの真髄とそれを成就することを代表していると信じておられました。

 仏陀という呼び名は、「目覚めた人」を意味し、梵語のボーディ(菩提)からきていますが、仏教は、どの宗派でも、釈尊が求められた悟りの成果に達する道を教えると主張します。釈尊は、命と生の根本的な真実を発見すべく、努力して修行し、瞑想されました。インド北部の釈尊王国の王子として、釈尊は、世の中で得られる物質的恩恵をすべて所持されていましたが、真実を追求する困難な難問に立ち向かう道を選ばれ、折角相続した王子の身分を放棄されました。二九歳から、三五歳で悟りに到達するまで、六年の間、絶え間なく、修行に集中された釈尊は、精神性修行のお手本となられ、以後、仏教が普及した所ならどこでも、アジアの至る所でこのお手本が広まりました。

悟り或いは知恵とは、私たちが生活と生命について持っている妄想や欺瞞を見通す事を意味します。このことが、教えを改革し、聖像を破壊する(偶像破壊)特徴があるために、仏教が今、私達の末法時代に適切であるわけです。これらの特徴は、親鸞聖人が出家制度の伝統と決別する動機になりましたが、仏教のこれらの点はめったに学究的ないし一般の注目を浴びません。

仏教には、仏教の信心と行の目標である知恵の特性を表す多数のシンボルがあります。知恵を意味する梵語の「智慧」は(「プラジャナー、Prajna)は、時には、魔法の珠、つまり、泥だらけの水溜りを清澄にする魔法の宝石に例えられ、泥の中で成長しても清浄な花を咲かせる蓮の花に例えられます。それは、門、流れ、灯り、目、鏡、雲とも記されています。智慧は迷妄を切り捨てる剣です。

仏陀の教えと行が根本的に目指す目標は、永遠の命、快楽、および物の所有を追求する人々が抱く自己欺瞞を突き破り、世の中で私たちを攻撃的にさせる我欲と貪欲に対して、ありのままに打ちかって行くことでした。私たちは、周りから働きかける競争・相反する色々な外部の力に囲まれておりますが、それらに縛られている誤った自我意識に打ち勝つことが、仏陀の教えの目標です。したがって、じつに文字通り、仏教は、「意識を高める」教えとして登場したのです。教えによって、自己批判の根拠が得られ、そこで、煩悩に振り回されることから真に解放され、自由になれる道が生まれました。その教えによる聖像・因習の破壊は、大胆でしたが、いまだに其の通り大胆なことです。教条主義の足かせからは、これらの足かせもまた自己欺瞞であるという仏教の基礎的な見地を理解することで、常に解放されます。

大乗仏教の「空」の原理には、私たちの限られた心あるいは私たちの表面的な経験で完全に理解できる絶対原理は存在しません。この見方は、宗教と同様に世の中においても重要な意味を持っています。絶対原理があると仮定すると、更に自分がそれを具体的に表すとか、所有することができるというもうひとつの仮定につながり、同じ人間の上に立つ権威を得ることになります。

大乗仏教でいう空、「シャーニャータ(sunyata)」の原理は神のお告げや神権を信用したり支持したりしていません。しかし、この空の考えは、神々の力やそれと人間が得る達成感との間に関連が無いとはねつける根拠になります。仏教の改革あるいは偶像破壊が、現代、大切なのは、それが、自己を更新する原理であり、大切な宗教的信心を意味あるものとするからです。長い歴史で培われた頑固な心と自己満足から信心を解放する努力が続いますが、その中で、現存する宗教はすべて、信者を道案内する原理を持っていなければなりません。ポール・ティリヒ(Paul Tillich)は、神自身以外の絶対者を認めないイスラエルの予言者達に由来するプロテスタントの教義に注意を向けなさいと言いました。この原理が西洋のキリスト教の伝統を改革する基礎になりました。仏教では、自己を更新する原理は、空の教理であり、絶対的な存在ないし概念がないことを暗示します。絶対性があると、智慧が決まりきったもので、変えられないと決めてかかるので、智慧の進歩が妨げられることがあります。智慧は、ありのままでいるだけでいいです。未来は開かれています。

すべての概念が空、つまり、からであるので、それ自身の本性を持っているものは存在しません。従って、教団も宗教の伝統もみな空です。この見方は、宗教が教団的および形式的な面をもつのを排斥するわけではありませんが、これによって、コミュニティー(地域社会)は、なにを優先し強調するかをきちんときめることができ、また、自分のコミュニティーから自由に援助を受けて、人の精神性が育成します。事実、仏教は、偶像破壊の古代の形であって、固定した、永遠の我欲を表す偶像を打ち壊し、恐れおよび神々への依存を表す偶像を打ち壊しました。(ここで、仏陀は人と神を教える立場になったことに注意。)仏教は、魔術と迷信の偶像を打ち壊し、カーストと階級による差別(東南アジアで、仏教僧侶が社会主義に惹きつけられた尤もな理由の一つ)の偶像を打ち壊します。

初期の仏教の八正道は、知恵に向かって前進の第一歩を踏み出しました。それは、事物をありのままに見る、「正見」の原理です。この原理は、自己批判の原理を組み入れることで、人は、永遠性または虚無主義の異端的な見解にとらわれてはいけないと強調しました。したがって、自分自身の考えという偶像にすら私たちはすがってはいけないのです。!

 初めは、知識と愛着心に対するこの自己批判は、直接得た体験および対象物の世界に集中して向けられました。私たちが生命の肉体的・社会的な面にたやすく愛着を持ち、あたかもそれらが永久に続き、私たちの価値の源であるかのように思うことを、初期の仏教が批判しました。苦しみは、仏教の言葉では、本質的に心理的な苦痛で、楽しさから別れ、不快なものと遭遇しなければならないこととして定義されています。私たちが生活していて、様々な肉体的・社会的な面で楽しく自分をごまかしていたことから決別し、不滅の生命と永遠への私たちの望みを捨てて、代わりに無常ではかない現実に向き合い、絶対的原理を受け付けないことなど、これらのことすべてが偶像破壊につながり、人々を解放しましたが、これは、現在でも続いています。

仏教の自己批判および偶像破壊の運動が何世紀にもわたって進化・展開するにつれて、その適用する範囲が広くなりました。大乗仏教が現れて、仏教による知識の批判は、思考課程そのものを問題にするようになり、更に、真の知恵に到達するつもりならば、私たちの概念および区別さえが空でからであって、廃棄しなければならないとしました。龍樹の弁証的な否定の仕方が仏教でのこの考えの発展を最も深く表わしています。龍樹は、すべての考えが本質的に自家矛盾しており、その結果論理的な言い方では、現実を表さないと唱えました。大乗仏教宗派では、それぞれ、龍樹の自己批判的見方を維持したかったので、これらの宗派がみな仏陀から龍樹までの系統をたどることは驚くことではありません。仏教は偶像破壊の教えですので、非二元論が単に二元論の反対と見なされるようになると、それさえも非難します。

大乗仏教は改革を宗とする伝統であり、仏陀の真の精神を様々な様式で再建しようと試みました。この傾向が特に法華経において著しく、このお経では、sravakas(声聞、弟子、古代の小乗の信者)およびpratyekabuddhas(縁覚、師の教えによらないで悟りを得た人)がもったいぶったり、うぬぼれているのに直面して、誰でも救われると宣言された仏陀の「第二転法輪」が記述されています。このような人たちは、仏教の真実をすべて会得したと自己満足していた当時の人々を代表していました。このような人たちは、他人を大事にする社会的な大乗とは対照的に、非常に個人的な立場で仏教に接していたことを表しています。

法華経の重要な観点の根拠を形成し、中国と日本で仏教の方向を定めた大原則が二つありますが、これらは、一乗の概念および誰でも救われるという教えでした。第一の原理である一乗は、仏教に様々な教えがあるように見えても、仏陀は、本質的には、究極の教えが一つであると、宣言されています。この原理は、火宅(燃えている家)から(逃げる気のない)自分の子どもたちを逃げ出させるように、「車が数台ありますよ。」と誘うことで救いだした、情け深い父親の話の中に生々しく描かれています。子供一人一人に好みの車を約束しましたが、外に出て来た時、父は、はじめに約束したものより性能の優れた、同一の車をそれぞれに与えました。一乗の原理は、仏教の真実であるというどんな主張でも吟味する優れたもので、仏教のより程度の低い教えすべてに取って代わります。

誰でも救われる、救済の普遍性の原理は、仏教の真実を主張する場合は、いつも、その試験台となる重要な原理でもありました。自分たちだけがそのような達成に必要な資格があったと確信していた人々とは逆に、唯一の真実は、生きとし生けるものがすべて仏性に到達するとするので、これと前記の原理とは相互に関連しています。しかし、仏教の宗派のなかには、邪悪で、下劣な人たちは、仏性の素質を持っていないと考えた宗派もありました。

法華経に示された批判と改革の精神によって、後に中国、韓国および日本で仏教が進展するよう促されました。中国では、ティエン-タイ(天台宗)は、厳密な意味では、改革が行われたようには見えませんが、仏教の教えを組織化し、その幾つかのテーマおよび原理を見出そうとする段階で、将来の進展の出発点を確立しました。

法華経とその精神は教の中心として最高の位置に置かれました。これは、最初智顗(538-597) (中国の天台宗祖師)によって始められ、最澄(767-822)により比叡山に導入の際、日本でさらに入念に仕上げられました。法然、親鸞、道元および日蓮のような鎌倉時代の主な仏教改革者たちが、最初は、天台で学び、その重大な原理を吸収したことは重要な点です。

中国の唐の時代に仏教が学術的、学問的、形式主義的に傾倒した時に、禅仏教が、改革勢力として出現しました。この間、偉大な中国の仏教宗派が設立され、多くの著名な僧が現われました。しかし、仏教の考え方が難解なため、一般大衆は困惑し、精神性が盛り上がることはありませんでした。著名な達磨大師が中国に来て、当時の粱の武帝と問答した時の物語から、禅宗が、宗教にたいする自己満足をどれだけ批判したかが判ります。武帝が大師に「朕は寺を建て、布施を施して仏教を支持したが、どれ程の功徳を受けるだろうか。」と尋ねた時、「無功徳」と答えて立ち去り、9年間、達磨大師は、壁に向かって黙想したのです。仏教の真実は計算づくや褒美の問題ではありません。この達磨大師の精神は継続し、臨済宗始祖である義玄禅師(867年滅)に至って、恐らく最も鋭い、次ぎのような宣言をされました。

道流、你、如法に見解せんと欲得すれば、但だ人惑を受くること莫れ。裏に向い、外に向って、逢著すれば便ち殺せ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり。  [諸君、まともな見地を得ようと思うならば、人に惑わされてはならぬ。内においても外においても、逢ったものは、すぐ殺せ。仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し、羅漢に逢ったら羅漢を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親類に逢ったら親類を殺し、そうして始めて解脱することができ、なにものにも束縛されず、自在に突き抜けた生き方ができるのだ。] 臨済録(示衆)96頁 入矢義高訳注 岩波文庫 1989年1月17日第一刷、岩波書店;祇だ是れ平等、著衣喫飯、無事にして時を過ごす。你、諸方より来たる者、皆な是れ有心のして、仏を求め法を求め、、、、、、痴人、你は、三界を出でていずれの処に去らんと要するや。仏祖は是れ賞繋底の名句なり。你、三界を識らんと欲するや。你が今の聴法底の心地を離れず。(同書)101頁 [わしの見地からすれば、なにもくだくだしいことはない。ただふだん通りに、着物を着たり飯を食ったり、のほほんと時を過ごすだけだ。君たち諸方からやって来る者は、みんな下心があって仏を求め法を求め、...愚か者よ、いったい三界を出てどこへ行こうというのか。仏とか祖師というのは、奉っておくだけの(?)名称だ。君たちは三界がどんな処かしりたいか。今説法を聴いている君たちの心を離れては存在しないのだ。]

このような禅仏教の傾向は道元を擁した日本の禅宗にもあり、道元は、政治勢力のある地域の近くに修行寺を建てることを嫌い、信者は、仏教を超越しなければならないと主張しました。すなわち、「いまをしふる功夫辨道(くふうべんどう)は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。」(現代語訳「ここに教える正身端座の法は、座禅の時すべてのものを悟りの上のものとし、日常の生活を真実と一体のものとする。」(正法眼蔵辨道話他」古典日本文学全集 14巻 西尾実 5頁 筑摩書房 昭和三七年八月二五日発行。)亦、

妙修を放下(ほうげ)すれば、本證手の中にみてり、本證を出身すれば妙修通身におこなはる。

(同上、現代語訳「妙修を投げ出すと、本証が手の中に満ちあふれ、本証から一歩出れば、妙修が体じゅうにおこなわれる。26頁」)

大乗仏教が促進したこの批判的な気質は、法然上人の選択(せんちゃく)の原理の中に表れています。上人は、その原理で、絶え間なく不断にすべての生きとし生けるものすべてが一様に悟りが得られるようにどこにでも働きかける、阿弥陀仏の本願の精神を標準として、当時行われていた宗教活動を各々試されました。法然上人は、人々の富、知性、あるいは精神性の程度に拘わらず、すべての人々に応用出来るという点で、念仏(南無阿弥陀仏– 阿弥陀仏の本願の力を認めたしるしに、名号を繰り返し唱える)だけで本願の意図を満たすと結論されました。

親鸞聖人は、六年間法然上人の弟子として修行された後も、この見解に従い、続いて後の著述の中で、仏の本願は、事実、全く分け隔てなく人々を抱擁して救うと主張されました。前に引用した、教行信証のなかの「大信海」という一節には、社会、宗教、道徳、あるいは知的な面で差別を設けていません。

法然上人と親鸞聖人の見解が急進的で聖像破壊をめざす意味は、歴史的な仏教の戒律と社会を背景にして評価しなければなりません。この両宗祖は、明白に通常の意識を表面から打破り、貴族階級の宗教・社会でのエリートの唯美および形式主義を捨て去っています。また、念仏という乗り物によることと、悟りに到達する仏教の多くの修行の効果を否定することで、条件をつけない慈悲およびすべての人を救うという言葉を伝えて、法然・親鸞の両師が大衆を抱かれました。
自己満足あるいは現状維持の宗教でなく、仏教は、じっとしてはおられない精神性に満ちた宗教になり、絶えず自ら、「深遠な境地に到達したか、最終の真実を解き明かしたか。」と問いかけます。自分がちょうど悟りに到着した思った時には、決して到達していないことを知らされる点、仏教は微妙な自覚の教えです。これは、親鸞聖人が非常に鋭く、明らかにされた微妙な、ありのままの自覚です。親鸞聖人は、真実と生命および人間の生きる意味を自身で探求された末、知恵の剣を振りかざして、決定的に仏教に新しい道を切り開かれました。

慈悲の道理

親鸞聖人の教えの背景になったものを私たちが考慮する際の第二の点は、私が慈悲の道理と呼ぶものです。ここでは詳細に立ち入って述べることができませんが、私はこのことを検討するに当たり、すべての宗派の仏教徒が慈悲の深さを求め、慈悲が抱く範囲を絶えずひろげようと常に勤めた、その中で、親鸞聖人が明らかに努力されていたことを示したいと思います。各時代を通じて、感性が豊かで、明敏であり、勇気のある人々は、教えについて新しい角度と意味を考え、それによって精神性の世界を広げることが出来ました。

同様に、ご自身の宗教体験の結果、親鸞聖人は、仏教の伝統をさらに推し進めて、宗教生活を最も深く理解する糧にしました。従って、それまでの伝統とは若干異なる点がありますが、聖人は、その最も深遠な意図を発展させています。これは、私たちが浄土真宗を理解する上で最も重要です。しかし、この進化発展した内容を明確にするために、私たちは、インドおよび仏教の宗教的伝統の発展について広い目で見なければなりません。

およそ紀元前八-六世紀の間にかけて古代のインドで出現したウパニシャッド(ヒンドゥー教)の神秘主義を背景にして、仏教が起こりました。この古代の神秘主義は、貴族的で、いけにえと魔術に基づくベーダの宗教に対する宗教的な抗議でした。ベーダは富裕層におもね、すべての階級(カースト)の上位に立って貴族と僧侶の優位性を押しつける古代のいけにえの宗教でした。ウパニシャッドの神秘主義は、バラモン(全宇宙で重要性と権力の中心力である、絶対者の名称)との結合を達成する精神修行の末、最早いけにえ制度を重要視しないことで、このベーダによる社会組織を没落させました。このいけにえ制度の廃止は、結局非殺生(アヒンサー)主義の勃興となり、ジャイナ教と仏教、および後にヒンドゥー教の中心思想となりました。インドの神秘主義的な伝統は、様々な形式をとり、多数の教師が居りました。偉大な人生探求と試行の時代におられた、ゴータマ仏陀は、何人かの師の下で勉強され、結局、他の人たちと同じパターンで、自身も教師になられました。仏陀は、自身を新しい伝統を始めた祖師ではなく、単に悟りに達する路を授ける教師に過ぎないと見なされていました。しかし、仏陀のもたれた識見は、お生まれになった伝統的とは、根本的に違っていました。

ウパニシャッドの神秘主義は、精神的な目標を達成するにあたって、貴族階級のエリート主義に抗議しましたが、それ自体が精神的で知的に有能であるというエリート主義に陥りました。仏教も時代の経過につれて同じような考えに陥りました。ウパニシャッドの宗教に対する取り組み方は普遍的でしたが、それは能力の普遍性であり、時と場所については普遍的でもすべての階層の人々に普遍的ではないという、えり好みする普遍性でした。仏教にも同様なパターンの変化が起こり、ある宗派では、人を五つの階層に分け、そのうちのある種の人々は、仏になれないというような仕組みを教えました。初期の仏教のこのような貴族・エリート主義の傾向は、法句経(ダンマパダ)の次の語句の中に見ることができます:

自ら悪をなして自ら汚れ、自ら悪をなさなければ、自ら清いけがれと清浄とは、自らによる いかなる人も他人を清めることはできない (法句経 165)

鈴木博士は、釈尊が入滅される時、別れに際して弟子達に「自らを灯火とせよ、自らを帰依処とせよ」と言われた言葉について、こう記されています。

自力とは、「自らを灯火とせよ」を意味する、自己依存の精神であり、八正道(はっしょうどう)または六波羅密(ろっぱらみつ)を勤めて自己の救い、または、悟りを達成することを目標にします。これが一生の間で出来なければ、釈尊が何度も往生されて最高の悟りに達するよう修行されたと同様に、自力を奉ずる者は幾つもの生を通じてその努力を怠らず励みます。従って自力の宗派に参加する者は、強い意志と高い知能が必要です。知能がなければ、四聖諦(ししょうたい)の意味を完全に理解できないでしょうし、この真理を賢明に理解することが意思の力を持続するのに必要です。釈尊が説かれた色々な道義の項目を実践する上から不可欠です。

この貴族的な、エリート主義の伝統は現代までも一般仏教にそのまま残っています。しかし、最初から、その仏教の伝統で、中には、多くの大衆が古代宗教のそのような必要条件を満たす程の経済的、知的あるいは精神的、または道徳的な能力を持っていなかったとしたら、どんな希望がもてるだろうかと思案したに相違ない、慈悲の心を持った人々がいました。そのような慈悲の心は、ヒンドゥー教のバガバッド・ギーター(Bhagavad Gita)に最もはっきり表れ、後に特に、階級とカーストの差別が強まり、階級間の流動が事実上できなくなった当時のインドの社会で、長い社会変化の過程で発展してきた大乗仏教の経典に表れています。狩猟、屠殺、皮なめし業、戦士の役割のような従来の職業は、生物の命を奪うので、罪深いと見なされていました。

大乗仏教では、そのようながんじがらめの社会環境のなかで、悟りと解放が絶対的に普遍であるという傾向を反映する多くの特徴ある点が発展して来ました。大乗仏教の持つ、普遍的な仏性・偉大な菩薩、回向、方便(ウパーヤ、梵語)、および悪人および女性の救済の考えは、すべて最も下層で、最も無能な人々にさえ、救いと悟りを約束するものでした。法華経はこれらの教えを示す最も有名なお経です。

完全に、誰でも普遍的に救済するという傾向は、大経に出てくる法蔵菩薩の物語から、知ることが出来ます。菩薩が提示された願いは、生きとし生けるものすべてが共に悟りを達成することができなければ、自分だけでは受け取らないと誓約されました。救済の働きによる恩恵を分かち合う実際的な方法は、大乗仏教特有な教えである、回向でした。これについて、鈴木博士は次のように述べています:

回向という概念は、実に大乗仏教の著しい特徴のうちの一つであり、その発展によって、仏教哲学の歴史に新時代がやってきたことが判ります。それまでは、功徳、つまり、善行の積み重ねは、その個人自身だけのもので、良い行いも悪い行もそれをした人が責任を持ち、自分の働きに関する業(宿命)に満足している限り、喜びを感じたり、または災難で苦しんだりするのは、その個人の勝手で、それ以上それに関してやかく言ったり、したりするということはなかったのです。しかし、ここに事情が変わったのです。最早、私たちは、一人だけでいるわけではなく、各人が自分だけの為に生きているのではありません。皆がお互いに深く関連しているので、誰かがした事は、必ずなんらかの意味で他人に影響を与えています。個人的な小乗仏教は、今や、共同世界的な大乗仏教に転じたのです。この事は実に仏教思想の進化の上で、大きな転機でした。

親鸞聖人は、大乗教の慈悲の意味を更に一歩前進させ、この慈悲の概念を進めて、回向を阿弥陀仏のお働きだけに限定しました。

巧妙な、賢い手だて、あるいは慈悲のある手段と一般に呼ばれるウパーヤ(すなわち方便)の概念は、大乗仏教およびその教育の教義のもう一つの観念です。この教えの要点は、仏の教えは、聞き手の水準と能力に応じて変えて、人を悟りヘと導くことを目標とすることです。教育の概念として、これは、仏の教えをすべての人の手の届くところにもたらす事を切望した、大乗仏教徒たちの深い慈悲心を反映しています。普遍的な救済の原理が初期の大乗教の中にあったとはいえ、それは、後に「自力」と言われた、自己完成と自己修行の考えと一緒くたになっていました。これら自力の考えは、戒律、瞑想、写経、仏像建立、造塔、仏事法要を営むようなお勤めを含んでおり、すべて他人の恩恵になる功徳をめぐらすように計られていました。インドや中国の偉大な洞穴寺院は、古代の人々がこれらの努力にどの位尽力したか示しています。

中国では、浄土教の伝統は南北王朝および隋朝時代の曇鸞・道綽・善導のような祖師等によって大衆のための普遍的な救済をする主な代表者となりました。より哲学的な面では、普遍性の教えは、僧道生(434年没)が唱えました。道生は、大乗仏教の涅槃経典がすべての生きとし生けるもの、従来の仏教では仏になる素質を欠いた人々さえも、仏性を持つと教えている、と唱えました。大乗仏教の精神により深く一致しているので、道生の考えは、その後中国仏教の中心原理になりました。

しかしながら、大乗の普遍的な救済の教えおよび精神が、教義上でも社会的にも十分明らかにされたのは日本においてでした。この教えは、多くの流れを通って日本の社会に達しました。平安時代と鎌倉時代に、この教えがより盛んになりました。市聖(いちひじり)と呼ばれた空也(光勝)上人(972年没)は大衆の間に浄土教を広め、良忍は、「融通念仏」を教えました。この教えの面白いのは、悟りに到達するのに私たちがみんなが互いに依存すると説いた点です。この時代は、大乗仏教にとって創造期であり、盛んな時代でしたが、特に日本では、源信のような僧が念仏を唱えなさいと主張する「往生集」を著しました。

鎌倉時代の僧師はみな大衆に訴え、結局、皆が救われることになっていると力づけました。

日本の仏教におけるこの発達の特徴は、誰もこの救いから除外されることは、ありえないという教えでした。この精神性について、法然上人や親鸞聖人と同時代で、自身日蓮宗の宗祖である日蓮聖人が、法華経の中の提婆達多(ダイバタッタまたはデーヴァダッタ、Devadatta)と竜女の物語は、仏の限りない慈悲を表わすものとして強調している点が重要です。この経典によれば、提婆達多は(仏に対する陰謀のために極悪人のシンボルとされている)、最後に菩薩に成れるのです。竜女は、信心の力を物語っています。女性禁制の制限があったにもかかわらず、仏の教えを信じていた、彼女は即座に成仏したのです。古代の仏教では、女性は、何度も生まれ変わり男性として生まれ、修行に従わない限り、成仏することが許されていなかったのです。

ここで、法然上人については特に言及する必要があります。それは、既述の章で記しましたように、上人の有名な「一枚起請文」に、唯単純な信心こそ救いの基であると強調されているからです。

「お念仏の教えを信じる者たちは、たとえお釈迦さまが生涯をかけてお説きになったみ教えをしっかり学んだとしても、自分はその一節さえも知らない愚か者と自省し、出家とは名ばかりでただ髪を下ろしただけの人が、仏の教えを学んでいなくとも心の底からお念仏をとなえているように、決して智慧あるもののふりをせず、ただひたすらお念仏をとなえなさい。」第4章参照)

法然上人は、さらに最もはっきりと説得力をもって、救いは、社会的地位と何の関連がないことを理解された上、あらゆる形のエリート主義を最も痛烈に、徹底的に排斥する書を著しました。親鸞聖人は、師の法然上人が築かれた基礎の上に教えを打建てられました。流罪の間、日本の北部・東部地方での体験と後に仏教を教えた実績によって、親鸞聖人は、普遍的な慈悲の心により深い教義上の解釈を与えることが出来ました。

親鸞聖人の教えの最も重大な特徴のうちの一つは、阿弥陀仏が生きとし生けるものの為に功徳を回向する幅と深さについて再解釈された事、およびこの見解が宗教生活の本質に与えた意味です。阿弥陀仏の慈悲が無限の範囲と深さに及びますので、私たちが救われることは、信心すれば保証されており、私たちは、自分たちや他人が救われるための功徳を積む形ばかりの努力が適切か、十分かどうかなどについて心配する必要がないのです。このために、宗教のお勤めは、自己中心の利益および欲望を満たすことではなく謝意と献身の表現になります。宗教的信心は、ある目的を獲得する道具でなくなり、目的そのものになりました。この見方は、宗教面での努力に重大な意味を与え、この努力が生活からはなれた何かあるものとしてではなくて、日常の生活の意味および目標を定めるのに密着したものになります。

結論として、大乗仏教、特に浄土真宗は、現代の宗教的生活において不可欠な二つの傾向を具体的に表しています。知恵の剣を使って、私たちは、私たちが理解したり考えることに関して問い続けます。私たちは、現実にたいする考えを明らかにし、妄想を切りはなします。私たちは、問題がすべて解決済で、知恵を独り占めしていると決して満足していられないのです。この剣で、一度ではなく何度も、何度も、より深く、深く切り込み、この剣は、私たちが真に誰であり、何であるかを見極めるのに役立ちます。

この技術がめまぐるしく、普及、拡大し、人種、社会、経済・政治が二極化する世界では、慈悲の道理は、私たちが、社会の福祉上の決定をする助けになるよう、人間社会の状況をできるだけ広い慈悲の目で見られるかどうか、絶えず私たちを励ましてくれます。西洋社会における浄土真宗と仏教の未来は、すべての人を含み、差別しないという真実と慈悲に、私たちが現代生活においてどれだけ、有効に尽力できるかにかかっています。