第1章 私自身の見方

限りない慈悲の約束

現代に生きる浄土真宗

ハワイ大学名誉教授

アルフレッド・ブルーム博士

第1章     私自身の見

 欧米人は、大抵禅仏教の事を聞いた事がありますが、これは、その研究に大きく貢献した鈴木大拙氏の著述によってアメリカで有名になったからです。 氏は、親鸞聖人(一一七三~一二六二年)の教えに深い興味を持っておりましたが、聖人の浄土真宗を広めようとはされませんでした。その結果、浄土真宗(大乗仏教)は過去一世紀でアメリカで最も知られていない秘密になっていました。

日本でよく知られている伝統のひとつである浄土真宗は、日本の鎌倉仏教の指導者の一人として、八百年前の日本の仏教に、新しい力と深さをもたらした親鸞聖人の教えに基いた仏教です。十九世紀の後半、浄土真宗は、日本の契約労働者の移住と共にかつてのハワイ王国にもたらされました。日本で、この宗教的運動が起こった中心地は、昔の京都と、近くの比叡山上の天台宗仏教寺院でした。

その教えによって大乗仏教を、はっきりとした形で新しく展開させられた親鸞聖人は、二九歳の時に、比叡山上の寺院での出家生活から抜け出し、京都の町へ下られました。寺院での二十年間の激しい実践および研鑚の日々を過ごされた後、当時まったく挫折感を味わられた聖人は、その生活を捨てられました。それで、早急に自身の人生に意味を見出し、生死について気持ちを整理しなければならないと感ぜられたのです。

ご自身の探求に基づいた著述が、相当な数残存していますが、その中で、親鸞聖人は、八世紀のへだたりを乗り越え、我々近代人に話しかけられています。自我の欲の為に起こる孤立感の問題及び自己欺瞞の壁のことに触れられ、私たちすべてに深い教えとなるように、ご自身の持つ恐れ、孤独感および悩み事について書かれています。善悪および私たち自身について、新しい見方から、話されていますので、この二一世紀において、私達は、聖人の真宗仏教の教えから、この人生の意味および精神性の深さについて新しい見方を学び続けます。

近代実存主義の予言者であるジャン・ポール・サルトルは、人生は不合理なものと見なして、絶望の中に果てましたが、親鸞聖人は絶望から始まっても、サルトルと異なり、ご自身の中に不合理な点、および自分が自分を騙し、悪を受け入れてしまう可能性があると認められたのです。仏教の浄土教伝統の阿弥陀仏陀の無限の慈悲を理解することで、聖人は、実の人生の意味と、その結果必然的に起こる精神的な幅と深さを見出されたのです。

阿弥陀仏(あるいは梵語のアミターバ=無量光仏、アミタユス=無量寿仏)は、無限の命と光の仏陀を表す浄土大乗仏教の伝統の象徴で、我々の精神を解放し、生命をありのままに(つまり、自己を騙す自我と言う障壁を乗り越えて)確かめさせて下さいます。そして、阿弥陀仏は、普く慈悲の心で生きとし生けるものをすべて抱き、総てを受け入れて下される教えとして実在しています。しかしながら、私たちが、ありのままの人間として、阿弥陀さまの条件をつけないお慈悲と知恵によって包まれていると、心から確信する時に始めて、阿弥陀仏は、私達一人一人の心の中に、現実におられることになるのです。

ヘルマン・ヘッセが、彼の有名な小説「シッダータ」の中で教えてくれた様に、結局、私たちはすべて、自分から人生の真実が何であるかを学ばなければなりません。私たちはそれを人から受け継いだり、借りたりすることができません。家族や友達はこの道を歩む私たちを助けて呉れるかも知れませんが、真実との出会いは、実際には、私たち一人一人が達成するものです。親鸞聖人は、自分が阿弥陀さまの慈悲に包まれているのを実感されてから、自分の人生で何が真実で本当であるかは、「面々の御はからいなり」(決定するのはあなた方ですよ。)と、質問した人たちに、はっきりと述べておられ、聖人は其の時、自分をさらけ出し、自分で実感した見方を明示されています。

仏教には、自分を教えてくれるよい友達を意味する、善知識(梵語。 カリアナミトラ)と言う理想的な考えがありますが、この本では、この考えで、親鸞聖人、浄土真宗および現代の生活および宗教の問題を解明します。筆者の役目は皆様のよいお友達として、私の考えや体験とこの勉強に関して一緒に味わえる読者の皆様のとを組み合わさせていきたいと思っています。以下の章の中で、皆さんと一緒に、現代の世界へ浄土真宗がどのように貢献していくか、またもっと具体的には、親鸞聖人の仏教の解釈が、たとえ、私たちと聖人の生活が何世紀も離れていても、どのようにしたら意味あるものになるかを考えて見たい思っています。

まず、私は他の宗教から仏教徒に改宗したので、親鸞聖人の教えを聞く態度が他の人と違います。読者のなかには、子供の時からずっと、日本、ハワイ、米国本土、あるいは南米で、本願寺(真宗仏教)の伝統の中で育てられきた人が居られるでしょう。今私のような転向者等は現在、真宗仏教グループを持って居り、このグループは、ロンドン、ベルリン、アントワープ、ザルツブルグ、ブダペスト、パリ、スイスの数箇所、ポーランド、オーストラリア、そしてケニアに及んでいます。現代のインターネット時代では、米国内に散在する多数の信者が、浄土真宗を受け入れる意向を示し、インターネット通じて学び、意見を交換しています。

私の場合では、全く偶然と言ってもよいきっかけで親鸞聖人に出会いましたが、それは、丁度私が深く傾倒していた根本主義・キリスト教徒であった時、日本で宣教師になるよう準備していた最中でした。それまでの自分の全生涯で、私はキリスト教だけが特有な、唯一の真実である宗教と考えて来ました。所が、そのような私の頭は、第二次世界大戦後の占有時代に東京で起きた偶然の出来事の結果、木っ端微塵に砕かれました。

私はそのとき、日本駐屯の青年兵で、暇な時間がある時は、日本の若い人々が英語を習い、占領軍に就職できるようお手伝いの意味で、教会で、お説教を通じて英語を教えていました。私がキリスト教の神の恵みの考えのことを話した時、宣教師の一人が、このことを通訳するのに、阿弥陀仏に触れ、「これは阿弥陀様そっくりです」と言いました。私は当時、阿弥陀仏の事を聞いたことがなく、また、私の日本語が不十分で、この驚くべき比較に関して問い質せませんでした。その宣教師の英語も充分でなく、阿弥陀さまの事をはっきりさせることも、考え方も説明出来ませんでした。私は茫然として、「他の宗教が一体どうキリスト教に似ているようなことがあり得るか」と、その人に尋ねました。しかし、私はこの問題の答えを得るのに数年待たなければなりませんでした。この疑問が後年私の真宗学の博士論文の元になり、「親鸞聖人の純粋な慈悲の福音」と言う題で1965年に出版されました。結局、親鸞聖人の教えについて尋ねたことが、私個人が深く関与する問題になり、そしてこの本を書く事にもなりました。

この1946年に起きた阿弥陀仏との最初の出会いは、私が持っていた私の個人的な人生の悩みにも関係していました。其の頃、自分の宗教的な生活で挫折感が度を増し、かなり偽善者的になっていました。私は公にクリスチャンで、しかもキリスト教の教義を学ぶ者として、後には宣教師として、体裁を繕わなければなりませんでしたが、益々これに嫌気が募っていたのです。

それは、私の子供の時からの複雑な生い立ちになりますが、要は、従来のキリスト教では、人は神によって救われ、受け入れられという確信が自分にあっても、様々なやり方で罪の意識を叩き込む傾向があります。信者は、自分が正しいのだと言う勝ち誇った者として生きていくのが当たり前で、脱落するのは、信仰が足りなかったと云う事になります。従って、人は宗教に打ち込めば打ち込む程、自分が嫌いになってしまいます。

私は、戦後の時代で、もっと幅広い教育を受けるに従って、日本語の知識を得る機会に恵まれ、親鸞聖人の書かれたものを、聖人の生の言葉で勉強し、また熱心な真宗信徒を多く知るようになりました。この経過を通じて、私は、以前よりもっと人生を明るい面から理解できるようになりました。このようにして、私は親鸞聖人の教えを信ずる改宗者になりました。このような事情の為に、私の態度や見方が、自分の家族に育まれ、自身の信心を受け継いだ浄土真宗の信徒とは、ある程度違う事がお判り戴けたでしょう。

一般に、伝統を受け継いだ信徒は、自分のお寺・教団を自分の生活にとって満足できる、意味のあるものとして受け入れています。このように自分が受け継いだ伝統は一足の履きなれた、履き心地の良い古靴のようなものです。宗教というものは、家族や住んでいる社会と複雑に絡み合っていますので、その結果として、信者は、自分に与えられた宗教について疑問を持ったり、ましてはその内容を理解しようとする傾向が少ないのです。

しかしながら、自分の意志で真宗に転向してきた者にとっては、この教えに自分自身が出会った時の生き生きとした体験がとても大切です。このような体験は、その個人のものであって、家族や地域社会とは無関係です。自分自身で決めた決定が正しものとして自分に言って聞かせるのは、本人だけでなければなりません。

従って、このような改宗者は、この教えを最初に開いた宗祖の生活と体験により深い関心を持っています。その為、お寺の教団組織が、この教えを伝えていくよう設立され、お陰で教えが持続出来たに関わらず、そのような組織に余り熱心になれないのかもしれません。

必ずしも組織に反対するわけではないのですが、転向して来た人達を組織に参加する気にさせる原動力は、飽く迄、その教えから受けた宗教的意味に感じて、個人として深く心に誓ったものから来ているのです。その結果、これらの人達の態度が生まれつきの檀家・門徒の方々とは大きく違ってくる事があります。それは、私自身のように新しい真実の教えを見出して信者になった者にとっては、古からあった教えを継承してきた信徒の方にぶつかった時に起きる根本的な違いです。

転向者は、信徒の人々が教えを理解し、教えに基づいて行動する筈だと思っています。しかし、従来からの信者は、教えがあることを認め、大切にはしていますが、もっと深く掘り下げて学ばねばならないとは、感じていないかも知れず、真宗仏教を自分自身で見出した私のような者が感動するような事項でも、そんな事は当たり前なことと見過ごし勝ちです。

一人の改宗者として、私は、人間、教師、また仏教徒としての親鸞聖人に重点を置いています。私は、教えを自分なりに学んで来ましたので、自分の胸の中で聖人にとても親しさを覚えます。聖人がどんな話し方や態度をとられただろうかと思い浮かべ様としたことさえ、何回かあります。私が親しみを覚えるのは、聖人がご自分で挫折感や困惑を体験されたように、私も自分なりに同じ敗北・挫折感に陥った体験があるからです。

聖人と同時代の唯円房(ゆいえんぼう)(浄土真宗の古典である、「歎異抄」の著者)に共鳴されたように、親鸞聖人は、同様に私のおかれた苦境にも全く共鳴されたことであろうと思っています。唯円房は、その歎異抄の第九章で、自分の信心に疑問を持ち、経典が信者に与える筈のお浄土に行きたいという喜びを持てないことに失望していると述べています。(歎異抄第9条から「念仏まふしさふらへども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまひりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらうべきことにてさふらうやらんと、. . .」)これに対して、親鸞聖人は、彼がそのような板ばさみになった感を持つことこそ、尚更、唯円房が親鸞と同様に、阿弥陀仏に抱かれているわけだと指摘されて、唯円房の悩みを鎮められました。この章を通じて私も親鸞聖人を身近に感じられるようになりましたが、それは、聖人がご自分の弟子の悩みに共鳴され、自分も同じ板ばさみになった感じを持っていると確かめられたからです。本当に、親鸞聖人自身は、最も深い意味から見て一人の転向者であったと言えるでしょう。ご自身の人生で阿弥陀仏の慈悲に一人の人間として逢われた結果、自己の独特な見方で仏教を理解しようとされ、何代も経て来た従来の仏教と伝統的思想を捨てられたのです。

従来からの浄土真宗の信徒のなかには、親鸞聖人が、ただ、「法然の忠実な弟子」として浄土教の伝統を維持されて来たと言い、これが親鸞聖人の見解の本質であると信じている人々がおりますが、この点で、私の解釈とは食い違っています。信徒の方々は、日本の先祖の民間信仰(祈祷行事)に基づく、一連のお彼岸、花祭およびお盆のような従来の伝統行事に満足しているかもしれませんが、これらのことは、一般に、親鸞聖人の教えが持つ独自な意味と重点とは関係がありません。

親鸞聖人が浄土教の伝統に拠り所を見出し、師の法然上人を尊敬・賞賛したことは真実ですが、全くその伝統にそのまま盲従するだけではありませんでした。もっと正確に言えば、聖人は、伝統を新鮮で、独特な方法で活用され、初期の祖師達が開拓しなかった、より深い次元を目指されたのでした。宗教的な努力および修行・実践したご自身の経験に導かれ、法然上人の教えに従い、親鸞聖人は次に新しい伝統を作り上げることになりました。即ち、故二葉憲香教授が別の言い方で記したように、聖人は、仏教に新しい地平(領域)を開かれたのです。

革新的という事は物事の根本に到るということです。さらに考え方の方向転換も意味します。両方の面で、親鸞はその言葉のもつ最も深く、正しい意味で革新派でした。それにも拘らず、私は、真宗仏教信徒が「親鸞聖人について、何ら革新的ではない。」と主張するのを聞いたことがあります。お寺の行事や未来に関して決定しなければならない場合、このような意見は、宗教的生活が自分達にとって何を意味するかを理解する範囲を制限してしまいます。

数年前に、ハワイでは、「親鸞聖人にお尋ねしましょう」と言うお寺のスロ-ガンがありましたが、私の考えでは、従来通りの答えが返って来るのを期待して、従来通りの問題について尋ねていてはいけないと思います。私たちは、聖人自身の生活およびそれから成長した教えを、親鸞聖人が自ら述べて戴くのを妨げないようにしければなりません。聖人のお心に基づいて、私たちは、新しい地平を開くよう試みるべきです。スローガンは一般に陳腐になり、空々しくなり易いのですが、私たちは次の年には、このように言ったらどうでしょうか。将来、「この教えを土台に、新しい夢を」などと掲げるのは、過去のスローガンよりもっと現実に近くなるのではないでしょうか。これらのスローガンは、私達が、親鸞聖人は現代の我々に伝える大事な内容を持っておられると確信していることを示しています。また、これらは、我々が生活していく上でとる立場が正しいか、どうかを判断する時の拠り所乃至権威とすることで、私たちが聖人のお導きに従う覚悟でいることを示しています。

親鸞聖人が現代の私たちに訴える意味のあることをを持たれているとしても、私達が現在生きている時代、つまり聖人が生きた波乱の時代によく似た、現代にとって釣り合う見方を持たなければなりません。聖人は当時、末法、つまり仏法の末期と言う言葉を使われましたが、親鸞聖人の人生および教えについて、直ちにお話しを始める前に、私は、現代をどう見ているかについて述べたいと思います。聖人と私達の現代をよりよく理解できるように、私は、末法というイメージを使って、私達が生きている時代と二一世紀の宗教の実態について述べます。