第7章 信心の象徴する仕組み

私たちの住んでいる、人間を疎外する、不合理な世の中で、古代神話がどんな意味を持っているでしょうか。この問題について考えなければならないわけは、私たちの非宗教的な科学に頼る文化の中にいて、信心というものがどんな関係や意味があるかを評価するためです。この問題点はまた、現代の宗教思想に照らして、親鸞聖人の思想の意義が何であるかを決めるのに大切です。

親鸞聖人は、浄土思想とそれによる救いの信奉者でした。聖人の思想の基盤は浄土三部教といわれている一連の仏教経典です。それらは仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観教)、仏説阿弥陀経(小経)です。大経は、法蔵菩薩の四十八願成就により浄土成立について根本となる神話を述べているので重要です。観経は、仏陀と浄土を観想(心に描くこと)する十三観法を説いています。さらに仏の名号を唱え衆生が極楽往生できるお勤めを教えています。小経には極楽浄土の姿が記述されています。

すべての仏教のお経に共通することですが、経文は「如是我聞」(我はこのように伝え聞いた) という語句で始まります。この文句は、教えが釈尊によって授けられたことを意味しています。それは、そのお経の内容が歴史上の釈尊の言葉および真実と一致していると正式に証明しています。「如是」(「かくの如く」)という文句は、仏教哲学上の教義である「真如」つまり「真にかくの如く」と「如来」つまり、タターガタ (仏陀)(かくの如く来たり、かくの如く行けり;真理から来た)に関係しているので大乗仏教では重要な意味があります。「如」という考え、つまり「実相」(本性)は、物事と現実の真相を表しています。つまり、仏教の真実を主張することです。

仏教の真実性については、経文の歴史上の正確さと宗教の真実を決めるのに、現代の西欧人にとって種々の問題があります。キリスト教の歴史と事実を重んずる傾向に影響されて、大乗仏教の経文は偉大な想像の所産と思われることが多いのです。伝統主義の信仰では、長年守られてきた権威書を引用するだけですべての事柄を明快に説明でき、何も証明する必要はありませんでした。すべて当然正しいと思われていました。現代では、このように当然と思われていたことが真実かどうか疑いを持ち、人々は、自分たちの抱える問題に対して納得がいく答えを求めます。真実を求めることがすべての伝統の根本でしたが、それが現代では、重要な焦点となって再び登場してきました。現代では、伝統をそのまま、無条件に受け入れると、盲信になります。

古代の道を求める人たちは、いつも永遠ということを念頭において人の生命を見ようとしてきました。人類は、いづれ死を免れないこと知っている唯一の動物として、常に命とその意味を死の挫折感という観点から見てきました。人々は、病気や老齢、あるいは不慮の災害で、自分たちの命を支えてきた強い力がたやすく終わってしまうことを受け入れられなかったのです。昔の伝統では、しばしば、この世の生が終わった後の人間の運命を描いた神話や物語がありました。救いの宗教は、生命の持続それ自身を重く見ただけでなく、未来の命の状態を個人の現在の命のそれと結びつけました。人が宗教に献身するように善悪二種の死後の世界像が作り上げられ、極楽に行く人もあり、地獄に行く人もありました。

法蔵菩薩が世界中の生きとし生けるものすべてが、限りなく未来に亘って浄土に行かれる道を築こうとする、真摯な修行による功徳を十分に積まれたご尽力が浄土経の中心をなしています。これを成し遂げられて菩薩は、阿弥陀仏(無量寿仏・無量光仏)になられました。これを達成するのに、世界の生きとし生けるものすべてを抱かれる四十八願を立てられたのです。仏陀の浄土(西方浄土、あるいは西方極楽浄土にあるといわれている)は菩薩の建てられたかの地に往生せんとする人々を待ち設けています。

このようなお経を基にして、著名な浄土教の伝統の導師らは、多数、信心とお勤めの内容が直接・間接に意味するところをはっきりと打ち出し始めました。中国では、瞑想修行を重く見た廬山慧遠(334-416)のような師がおり、曇鸞および後継者の道綽、善導のような師たちは、瞑想を主張する一方、念仏(阿弥陀仏の名号)を唱えるお勤めに重点を置く平易な教えを展開しました。このお勤めは、中国および後に鎌倉時代の日本で浄土教の伝統が進化・発展するにつれてその意味が変わっていきました。道綽と善導は、この教えを仏教衰退論、すなわち、末法と関係付け、名号を唱えるだけでこの仏教後期の衆生にふさわしい勤めであるとされて、この教えの進化・発展を助けました。

私たちが釈尊のお話と悟りに到達された道筋を調べると、未来の運命や可能性に関する神話が出てくることは予想しないでしょう。というのは、仏教は根本的に神話によらないからです。仏陀は、自身の人間として可能な能力を最大に発揮され、生命の本性の中身を熟知された教師だったからです。釈尊の教えでは、神々はその地位を追われて、人間を悟り、涅槃に達成させる重大な役割からはずされました。仏陀が存在という束縛を断ち切られ、不可思議(計り知れない)であると考えられなければなりませんので、初期の仏教芸術では、仏像を表現しませんでした。仏教は、神話も像もない宗教として発展して行くように見えました。

しかし初期の時代から、釈尊の信者らの信奉の結果として、仏陀に関する伝説が生まれ、時代と共に目で感じ、見える形と表現になり、最後に視覚に訴える表現になりました。永い間に仏陀の生誕と悟りの達成についての物語のような、神話・伝説風な特長のある伝記が出来上がっていきました。仏教神話と芸術の中で、仏陀は、一般衆生と違って実際上神聖なお方になられたといいでしょう。しかし同時に仏教では、仏陀は、神ではなく、「至上に目覚めた人」、つまり最高の人であるという伝統を硬く守ってきました。

大乗仏教の発展とともに、神話作りの傾向がさらに深まりました。仏像は、歴史的に実存された人から、すべて衆生を抱き、かつ、内在する宇宙の実体を表すお姿に広がりました。計り知れない万物の世界に満ち満ちておわす数多くの仏陀等は、全宇宙の仏陀を現すお姿になりました。法華経の教えでは、釈迦牟尼仏陀は、40年教えを垂れられてから涅槃に入られましたが、実は、決して涅槃に入られず、すべての衆生を救うため絶えず努められる永遠の釈迦牟尼仏陀のほんの一つの姿に過ぎなかったのです。浄土思想の到来と共に、この永遠の仏陀は無量光を意味するアミターバあるいは、無限の時間と空間を表す無量寿、アミターユス、で象徴されるようになりました。

浄土大経にある法蔵菩薩が仏になられる物語は、大乗仏教徒たちが現実の仏陀に気づき、菩薩が絶え間なく繰り返された言葉、つまり、[他の衆生が皆同じ目標を達成できなければ、できるまでは、菩薩自身は悟りを得ようとは思いません。]といわれたことに対していわざるを得ないと、彼らが感じた慈悲の深さをよく表しています。このお経の記述の重点は、大乗仏教の慈悲の中心となる特徴に置かれています。

慈悲の理想達成の心で、修行中の菩薩が修すべき六つの徳目の完成(六波羅蜜)に重点がおかれるようになりました。これらは、布施(dana,私心のない施し)・持戒(sila,じかい、道徳)・忍辱(ksanti,にんにく、忍耐)・精進(viryaしょうじん、努力)・禅定(dhyana,ぜんじょう、瞑想)・智慧(prajna,ちえ、悟り)です。大乗精神では、宗教とその実行に果たす努力は、最も深い慈悲、つまり、生きとし生けるものがどんな状態にあっても、すべてわが身になって、私心のない愛を捧げることに向けられなければなりません。大乗仏教徒らの基本をなす神話が錯綜し複雑であっても、これが中心をなす責任です、つまり、現実の中心をなすものは、慈悲、すなわち私心のない愛で動かされていることを確信することです。それは、生き甲斐とそのすべてを含む普遍的な意味で、古代仏教徒がなした信心の深遠な宣言です。

普遍的慈悲の理想は、また、神話を信じようとする人々に使命がなんであるか、その例を示します。慈悲の心から限りない可能性の新世界が生まれ、この理想が現代世界に希望をもたらすメッセージとして輝くのが、私達にまのあたりに示されます。この現代世界は、何かを創造するよう努力しても余り変るようでなく、他人を助けようという考えが無力で実際的でない技術万能の世界です。

古代仏教の経文の作者は不明です。しかし、この作者をある人、釈尊の説法で聞いたことを思い出し、弟子たちにそれを繰り返した阿難陀に帰するのが古代の習慣でした。これが「如是我聞」(かくの如く私は聞きました)の元になる意味です。時代と共に、この起源からの距離は永くなりましたが、お経は書き続かれ、「如是我聞」としての権威がが残りました。浄土教のお経の無名の作者たちが抱いた慈悲心と関心がいかに深かったかと想像に駆られます。これらの人たちは、人間の苦しみに重点を置きました。しかし、仏陀の元の教えを曲げたり、誤って伝えたりしていると非難されることが多く、これらの人々の道は容易なものではありませんでした。法華経第十三勧持品の「大忍力を起こすべく勧める」に説明されているように、自分たちの使命を深く確信し、それに打ち込む余り自分の命を犠牲にすることも辞せませんでした。

大経には仏陀が瞑想から目覚められ、光り輝いたお顔で起きられたとき、弟子等がなぜそのように心が高揚し陶酔されたかを尋ねました。まさに、このような経文の最初の版ができた状況が、この光景にまじまじと示されています。これらの経文は、恐らくつきつめた瞑想と仏陀の慈悲の精神を表すビジョンから導かれたでしょう。この仏陀の事について調べるにつれて、それを完全に理解するのには、伝統的な涅槃の目標に対して具体的に表さなければなりませんでした。

幸せと安心の浄土は、時には、涅槃に付随する特質を拡大したものと考えてよいのです。浄土は、個人の悟りを追及するために設けられた辺地ではなく、むしろ、仏陀と菩薩との親交と霊的交わりが実現する状態です。浄土の思想は、一緒に仏性に到達せんとする大乗仏教の理想の持つ社会的な面を示しています。これら大乗仏教徒らの雄大な考えは、深い人間的な思いやりから発していました。これは、親鸞聖人の思想の象徴する構造から湧き出て、しかもそれを強化・支持する思いやりです。

仏教神話に織り込まれている理想主義とそれが具体的に表されている形にもかかわらず、現代では、これら神話の権威と信憑性が疑われるようになりました。近代人は、神話から解放されていると思うようになったのです。神話のことを、神話は内容が無い言い伝え、つまりおとぎ話であるとして、「たかが神話」だと批判します。西洋文化では、プラトン時代後、神話は否定的な意味を持つようになりました。近代になって、フランスの社会学者のオーギュスト・コントは、文明と科学の発展は、神話から形而上学(純正哲学)、科学へと進むと論じました。人間性の知的進化は、西洋では、宗教から哲学、哲学から科学への進化であると受け入れられるようになりました。近代人類学者の中には、神話を論理以前の考え方の証拠であり、人間性がまだ幼かった時期を表しているとみなした人達もいました。古代人と現代でも文字使用以前の人々の生活は、その人々の神話に支配されていたように見えます。一方、一応文明人は、理性と科学を頼りにしているわけです。

キリスト教の慣例では、神話と史実の間に対立関係が生まれました。キリスト教の根本的な信仰と思想が問われるようになりました。神がイエスとして顕現されたという信仰は神話か史実のどちらでしょうか?イエスの処女生誕はどれほど事実に基づいているのでしょうか?イエスの復活の物語は、神話だったのでしょうか、歴史的事実だったのでしょうか?仏教は、このような問題点と無縁に発展しましたが、西欧諸国および西洋的考え方との大幅の知的・精神的接触が始まるや否や、このような問題とそれにどう答えるか厳しい検討をするやり方から永く無縁ではいられませんでした。

日本では、特にこのような接触の結果、伝統的な大乗仏教諸宗派の間で似たような疑問が起こりました。釈迦牟尼(歴史上の人物)の教えと言われている多くの大乗経典は、本当に釈尊の教えだったのでしょうか?学者らは、伝統的にお経の冒頭で、「私はかくの如く聞きました(如是我聞)」とされていたようには、釈迦牟尼は大乗経文を教えなかったとする、「大乗非仏説論」を論じ始めました。

この議論から一つ問題が起こりました。もし釈迦牟尼仏陀がこれらのお経を説かなかったとすると、「初期の教えの四聖諦と八正道に対して、これらの経典が説く行が悟りへの道である。」と、どのような権威で言えるでしょうか?近代の西欧科学の先入観の影響がおそらく最もはっきり現れたのは、姉崎正治の明治時代の著書「現身仏と法身仏」であり、その中で「仏陀の永遠の真理は、観念的考察より確実の歴史の中に見らるべければなり。」と言っています。もう一人の学者、村上専精も、著書「仏教統一論」の中で、伝統仏教をこれと同じ筆法で批判し、根本大乗仏教観を維持しつつ、仏教各宗派が統一教義のもとに合同統一することを唱えた。「根本仏教」を求める願いで活気づいた十九世紀および二十世紀初期の日本の仏教研究は、神話に対する非難と歴史学的研究の面で、西欧の研究水準に達しました。

伝統的な仏教各宗では、考え方やお勤めの内容を余り変えることがなく、日本の学究研究で得た見解の変化は起きませんでした。日本でこの時代の仏教伝統が直面した実際的な問題は、学者等の関心事とは、違っていました。それよりか、伝統仏教の師達にとっては、三百年の鎖国後、政治・社会の西欧化で日本に伝来したキリスト教とキリスト教宣教との対決が問題でした。この対決の結果、伝統仏教各宗は、一般に防戦に努めるだけで、自分達の歴史や教義に対する見解を変えようとはしませんでした。

上に述べた日本仏教の学問と信仰との間の溝を埋めようと企てた中に、村上専精がおり、彼は「大乗仏教に対する批判は、歴史上の問題に向けられ、教義の問題ではない。教義の観点からは、誰も大乗仏教の解釈を疑うべきでない。」と宣言しました。村上は、自宗とのつながりと学問的研究の間に立って、大乗仏教の教えは、仏陀から直々に下されたものではないが、仏教思想を立派に展開したものと結論しました。

他の学者、前田慧雲は、著書「大乗仏教史論」において、大乗の種は、実に仏陀在世時の教えにあったと主張しました。木村泰賢は、この一見存在した食い違いを大乗仏教は「深い意味では、原始仏教を再生させようとする」努力の表れと見ることで解決しました。

鈴木大拙博士は、評論、「仏教における浄土教教義の発展」の中で、こう書き始めています。

近代的批判の見地から見なければならないと思うので、宗教体系の歴史はいずれも、ある程度不要な箇所を切り落とすが、主として言えば、祖師の言葉や性格にかくれている、最も重要な精神性の要素を明らかにし、絶えず発展させる点にあるとすれば、仏教教義の歴史の研究で次の質問にたいする回答が自然に問題になる。それは、浄土教の思想のうち、どのくらい所謂原始仏教の教えに基づくか、別の言葉でいえば、釈迦牟尼仏陀自身の性格に基づくか推論できるかと問うことです。

この観点から鈴木博士は、この問題を解決しようとする宗教的体験の哲学を築き上げようとしています。浄土教の基本概念と特色を概説してから、次のように言い切っています。

ところで、ここで注意したいことがあります。それは、どんな形であっても、経典のもつ権威という考えは、も早筋が通りませんので、宗教の歴史の中で、嘗て、生き生きとし、人々を感動させ、向上させる力があった思想は、宗教意識の究極の事として別の方法を打ち立てなければなりません。キリスト教でも仏教でも、魂の奥での体験に合い、本当に人々がこの限りある世の枷(かせ)を打ち破るのを助け、命と光に満ちた未来の姿を開く限り、経典は、神聖な啓示です。つまり、経典の権威は外から与えられるのではなくて、内からほどばしるものなのです。...この観点から、浄土教は、前にも述べたとおり、普通正規の信者らのようにお経のもつ権威や特別な啓示があるからではなく、宗教意識の点から解釈すべきです。

このように考えてくると、次の質問がでてきます。それは、何のせいで神話が出来上がり、何の働きで、他の似たような、同類な説を退けて、神話が規範的な手引きや権威あるものとして宗教意識にしっかり根を下ろすことになるのかということです。ここで考えなければならない大切な問題は、宗教意識の性格、および、分析的に論証したり形而上、あるいは哲学的に考究しなくても、宗教的真理が掴める根本原理がそれ自身の中に、十分に含まれているかどうかということです。

仏経典が仏陀の真の言葉を表しているとする仕組みから、嘗て、経典を受け入れるべき客観的な基盤があったということが分かります。学者達は必ずしもそう思わないかもしれませんが、一般大衆は、文句なしに経典を崇敬しました。宗教を社会で人々を治める手段として使うには、大衆が宗教の真実を信仰するよう仕向ける必要がありましたが、浄土仏教信徒の場合では、これら浄土三部経およびその阿弥陀仏の本願の神話に関する説話の権威と正当性を信頼するよう勧めることを意味しました。日本の学者は、西欧の分析的な見方と神話を信用せず全ての事柄を証明可能な歴史学的研究の面から評価する西欧の傾向に触れ、影響を受けましたので、鈴木大拙および宗教意識の正当性にたいする彼の見方に同意する人々の考えが、とみに現代では重要視されるようになりました。事実、宗教意識はフロイドが主張するように単なる幻想に過ぎないでしょうか?宗教は、マルクスが力説したように、大衆に対する一種の阿片でしょうか?フロイドおよびマルクス両者の唱えた意見は、二十一世紀になるにつれて時代遅れになりました。近代人の頭には、宗教的であることと道理的であることが、時には矛盾していると思われています。しかし、宗教が人々を圧迫したり、利用したりするものでなく、あるいは、単に社会を治める機構でもないとすれば、宗教の思想と体験に基づくその基盤をあからさまに見極めねばなりません。これは、仏教は真摯に真実を求めるという伝統を、私たちが追求し続け、親鸞聖人が持たれたきびしい批判的態度と真実の探求心に従うものとしたら、特に大切です。

神話は、世の中の性質が異なる無数の分野に何らか筋を通し意味を持たせるように、人の意識と世の中がお互いに働きかけることから生まれます。神話は、人間の存在に付随する重大な問題、つまり、価値観、運命、悲劇、そして善悪に関しています。神話は、人間の力に限りがあることを自覚し、世の中の神秘的な力や自分ではどうにもならない力を恐れることから生まれます。神話は、毎日の世界で、実体のある現実性あるものとして受け入れられないとしても、具体的な世の中のものよりもっと納得させる力を与える人間生活の基本的な性質に触れるという点で、一種の現実性を備えています。人々は、物の所有をめぐって死ぬより、現実味のある絵や神話のためにもっと喜んで死にます。一方で、神話は、意識の所産で、心から決して離れてあるものではありませんが、心と意識を超越した何かに関係しており、それが結局心と意識の基礎になっています。

阿弥陀仏と浄土の場合、この神話は、より高遠な生活に達しようと言う願と希望に動かされた意識の所産であったのかもしれず、その結果神話は、高遠な生活に達することが現実にあると唱えるのです。そのため、神話は意識の所産ですが、意図してできたものではありません。神話の作者は、自分で作り話をしたとは夢にも思っていなく、むしろ自分が、その高遠な生活を知らせ、描くための手段になっていると信じていました。

要するに、私たちの意識を捉えてきたある神話が現実にどのような根拠があるか見出そうとするために、神話は人の心理だけでなく形而上学や哲学に到達するのです。仏教徒全般、とくに、自分の宗教生活を伝統的に象徴するものを中心として営む浄土仏教徒にとっては、この象徴する体系が哲学的にどういう意味があるかもっと深く調べる必要があります。この説話を説明するのに、ウパーヤ(方便、つまり、巧みで慈悲のある方法)、スンヤータ(空性)の考えに訴えたり、阿弥陀仏或いは浄土は、ただ私たちの頭の中にあると主張するだけでは十分ではありません。これらの考え方は、すべて、ある神話が私たちの宗教生活の中でなぜ規範的な権威となるべきかという問題をはぐらかしています。

同時に、浄土の神話は、非二元論と客観性に関して基本的な仏教の確約を維持する必要があります。もし浄土真宗仏教が現代の世の中の投げかける問題に対面するとすれば、これらすべての問題を真剣に取り組まなければなりません。特に、真の信任、つまり、信心を神話と象徴により表す仕組みの場合重要ですが、それは、この仕組みによって、神話が私たち人生の意味と宗教的な解放の源として示してくれる、本当の、言い表せない現実を私達が感知するためです。

先に、現代人は、自分たちが嘗て神話から解放されたと思い込んだと述べましたが、最近の出来事からそうではないことが分かってきました。

 私たちは、現代において、人種および経済に関する神話(ナチス、KKK、資本主義、共産主義)、国家的神話(国旗)および科学の神話によって人々の心が動かされることが分かりました。人間は神話を作る動物で、生活と一体となす価値観と意義を神話の中に、神聖なものとして大切にします。ある文化を築く神話はその文化の共通の経験に基づいています。神話は、人がとる態度と行動の規準として個人個人に受け入れられています。種族や文化の神話に基づいてグループ結束し、和を保つよう促進されるのは、明白です。このような神話は、社会的なおきてになりますので、そのグループの神話に反対したり、さもなければ、これを受け入れなければ罰を受けることになります。ある意味では、すべて、どんな文化でも、どんな時代にあっても、更に、現代も含まれるばかりか、かえって特に現代では、生まれたときからこれらの神話を身に受けます。

しかしながら 、仏教またはキリスト教のような既成宗教の神話は、民俗文化の一部である神話とは異なっています。個人である宗祖が宗教的神話が真実であることを自身で具現することで、あるグループ(宗派)が創設されます。そのような宗教的神話は、どのように個人の人生を全うするかが明らかになる点から重要で、信者に慈悲と愛を育てることを精神世界の源とするように訴えます。

深遠な宗教神話は、人に誓いを建て、信心することに賭けるよう呼びかけます。神話には、判断と批評を伴う所があり、これにより、心に精神性を持つ人を力づけ、人はそれによって社会と文化が働きかける力に対して対抗するよう専心します。このような力は、集団の利益に人を従属させ、自発的な行動がとれる範囲を制限することで、各自の持つ真実の精神性を殺してしまいます。世界の既成宗教の指導者と信者らは、自分たちの生活の真実や真実の自己を求めるあまり、集団の持っていた規準に反することになり、一般に迫害されました。したがって、深遠な宗教的神話は人々を解放します。それにより、人を従属させるあらゆる形の束縛から人が解放され、真実の“自己”を発見することができるようになります。

中国の仏教史では、儒者は、仏教の平等主義と理想的世界を描く神話の意味を認識し、大衆の間での仏教徒活動を抑制するよう繰り返し働きかけました。鎌倉時代に日本で起こった浄土教迫害は、同様に、教えのいわゆる「反社会的」な意味に対する反対が原因でした。阿弥陀仏の信心に専念するあまり、時として国土の神を敬わず軽視することがあり、コミュニティーの結合や社会結束を害したのです。

中国の禅師である恵能大師は壇経の中で、人が心から行を積めば、法華経を転ずるが、心から行を行わなければ、法華が人を転ずると言っています。(、「心行轉法華・不行法華轉」とあります。(花園大学国際禅学研究所:http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/data_f00d3_t2007.html

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)宗教の歴史は、神話が曖昧であることを教えてくれます。人を解放する神話は又人を従属させることもあります。これは、義玄禅師が「仏陀と家父長という用語が尊敬の言葉であると同時にまた束縛を意味する言葉である。」と言われた言葉の背景になっていると思います。信頼が確信へ変わり、経験が主義と教義へと転換していくと、宗教は人間の精神を支配する監督および専制者になってしまいます。中国の禅師である恵(慧)能大師は壇経の中で、人が心から行を積めば、法華経を転ずるが、心から行を行わなければ、法華が人を転ずると言っています。(原典では「心行轉法華・不行法華轉」とあります。(花園大学国際禅学研究所:http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/data_f00d3_t2007.html

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)教えは、主として、悟りに到達するのには、二の次で余り役に立たない別の道と考えられていた為に、浄土教の仏教神話で根本原理が与えた影響は弱かったのです。教えはほんの一部の道でした。親鸞聖人に達するまでの伝統の歴史は、一種の進化・発展でしたが、遂に聖人が教えの中でより深く掘り下げ、教えの根本原理に気付くという結果になりました。浄土真宗の意味する所は、親鸞聖人の浄土教の教が単に多く他の教えの中の一つであるのではなく、それ自身、意味と現実の最大の深さを表わしているに違いないということです。さもなければ、教えは、文字通り「真実」のはずがありません。

阿弥陀と浄土教の神話は、このように親鸞聖人の宗教哲学を考察する際に必須な基本的要素です。

その神話によって、私たち個人の存在を満たしてくれることになる慈悲のパターンが与えられます。

それは、このように、真宗仏教を象徴する仕組みの土台として、注意深い宗教・哲学的な研究および思考が必要です。法蔵菩薩の物語を宗教的神話として理解することによって、私達が人間の条件に束縛されていることおよび慈悲の力を見極めれば、近代人が非常に必死に求める精神的な自由が与えられでしょう。