第9章 — 親鸞聖人の浄土教伝統の理解

第9章 — 親鸞聖人の浄土教伝統の理解

親鸞聖人は、ご自分の教えを浄土教伝統に基づき、思想の系統を七人の高僧に遡りました。初期のインドの仏教徒のお二人、龍樹大士および天親菩薩は、大乗仏教のすべての宗派のためにその哲学的な基礎をもたらしました。

仏教が中国へひろがるにつれ、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師のような浄土教の高僧が現れましたが、実際には、道綽禅師、善導大師のみ歴史的に関連がありました。日本では、親鸞聖人は、源信和尚および聖人の直接の師であった法然上人から大きな影響を受けました。

教えの内容が多様になるにつれ、教えが正統かどうかが大乗仏教において重要になりました。教義が本物であることを証明するために、龍樹大士を通って釈尊までたどることを示さなければなりませんでした。小乗仏教徒は、大乗経典中に報告されているように、自分達が仏陀の真の教えを伝え、大乗仏教の教えは、釈尊から与えられたものでなく、誤りだ、と主張しました。従って、大乗仏教は、正統性に関して敏感な態度を示し、これは、キリスト教の十二使徒伝承についての考えに全く似てないわけではありません。小乗仏教では、ちょうど一滴も漏らさずカップからカップに水を注ぐように、悟りに結びつく真実が師から師へと残さず移されたと信じていました。

禅宗はこの最も適切な例で、二十八人の禅師を遡ってその系統と正統性をたどれます。摩訶迦葉(マハカショー;釈迦牟尼の弟子)が悟りの本質に関して尋ねた時、仏陀はただ微笑み、花を掲げられました。この悟りを示した実例の説明は、数世紀にわたって様々な方法で何代もの弟子達に伝えられ、やがて六世紀になって達磨大師が禅を中国へもたらしたと言われています。達磨大師以来一連の中国の禅師が数えられますが、その中で最も有名であったのが六代目、慧能禅師(638-713)でした。

厳格に守ることが、時には、伝統と系統に忠実であると間違われますが、これとは、対照的に、浄土教の伝統はもっと開放的でより柔軟でした。教えを受ける側の人々とその時代の精神的な特徴(時機相応)が一致・対応していることが必要であると強調されてきました。時代とその教えの発展との関係を重要視するのは、中国の歴史観に基づいています。末法の考えに表されている仏教の衰退は、浄土教の教えの中で目立っていますが、これは、時代の衰退に関する中国の理論に似ています。初期の出家制度下、仏教の修行を行うことは、大衆に向かなかった事は確かです。従って、仏陀からかなり後になって、精神的に汚れた世界に住んでいる人々には、その時代の情況の中で自分達の能力に適応した教えが必要でした。慈悲のある手段(ウパーヤ、梵語;方便、日本語)に関して、大乗の考えでは、精神的な解放と悟りを得ようとする望みが最下層階級の人にももたらされるために、教える際に創造性と柔軟性が大事であるとすめられてきました。

大乗仏教徒等は、普遍的で無条件の慈悲のビジョンと教えの正統性に対する懸念に駆られ、大乗仏教が新規でなく誤りでもないことを示そうとして、前期の仏陀の数を多くしました。もっと正確には、大乗は、大宇宙と小宇宙、四方八方に全世界に浸透する、過去のすべての仏陀および現在・未来の仏陀の数々に伝わってきた真実でした。

親鸞聖人が選択された浄土教の系統では、高僧は各々、新しい独特な扱いや考えを教え、それにより念仏の行の意味および重要性を深く掘り下げ、重点をおき、一般大衆の人々がよりたやすく救いを受けられるようにしました。この伝統の精神で、親鸞聖人は、伝統(与えられたもの)とご自身の体験から生まれる創造性の相互作用によって、浄土教の教義および宗教経験について最も包括的な解釈を出されました。

仏教の伝統とご自身の考えの結び付きについて聖人が理解されたことは、高僧の系列によって仏教史に自分達の位置を確立した他の宗派等と多くの共通点を持っています。聖人は、教行信証の行巻の有名な正信偈(真実の信念の歌)および高僧和讃(高僧を賞賛する偈(歌))の中で仏教伝統におけるご自分の系統を述べておられます。しかしながら、聖人の仏教伝統の解釈は、以前の教師等をのり越えて、今日、私たちの理解に適切な意味合いを持つという含みがあります。聖人の解釈は、真実に対する新しい見方に向って前に飛躍する正真正銘の跳躍です。

正信偈は、存如宗主および蓮如宗主によってその後別途に刊行され、国内に広く行き渡りました。この発行により真宗仏教の要点を集中し明確にした概説を通して、伝統が一般に知れ渡りました。信徒らよって歌われ、この教えは人々心の中に焼き付けられました。

正信偈は、教行信証中の行巻と信心に関する信巻とを結び付けています。これは個人の信心を伝統に結び付ける点で重要な意義を持っています。歎異抄で、親鸞聖人は、聖人以前の高僧に依存していると宣言し、特に釈迦牟尼、善導大師、法然上人を挙げておられます。聖人は、これら高僧の教えが真実なら、親鸞が宣言することも空でも無駄でもないと言われます。ご自分の著述の中で、聖人は、これら高僧たちに著述を通じて会い、教えを吸収できたことを絶えず嬉しく思うと書かれています。

親鸞聖人は、仏教伝統の内容を背景にして、ご自分の個人的な体験を採用されています。聖人の浄土教の解釈では、伝統と個人としての創造性とが相互に作用することが示されています。比叡山上の二十年間の真摯な修行後の絶望および幻滅を味わった個人としての宗教体験の結果、聖人は次のことに気付かれました。それは、救いをすべての衆生に届くところにもたらすように、浄土教の高僧たちを通して歴史的に働いていた、阿弥陀仏の本願および条件をつけない慈悲の真実でした。

浄土教の教えは、単に浄土教伝統の歴史的発展に寄与した一連の人々の解釈の集成ではありません。もっと正確に言えば、親鸞聖人独自の仕方で、この教えの系統は、歴史の過程自体で、阿弥陀仏陀の現実および真実の中身を表わしています。浄土教の伝統は、生きとし生けるものをすべてを抱く阿弥陀仏の本願成就の歴史の中の顕示(あらわれ)です。

第十八願は救いへの途の基礎を築いていますが、第十七願は、教えが宇宙全体の至る所に行き渡り、本当に普遍的な悟りに至る道を開くであろうということを示しています。私たちの世界、つまり宇宙のこの一角における苦痛と苦悩の娑婆では、教えは釈迦牟尼仏によって歴史に入って来ました。親鸞聖人によれば、釈迦牟尼自身が阿弥陀仏の顕示であり、阿弥陀仏の本願を通して悟りに至る途を宣言することが託された使命です。釈尊こそ、この伝統を起こした大乗経典に表わされている、浄土教の基礎です。

この見解は、神話的歴史であり、性格的には、キリスト教神学の神聖な歴史の概念に類似しています。それが正しいという証明は、近代意識を支配している史的正確さにあるのではなく、「私の」人生の真実がここにあると心の中で確信することにあります。これは、歴史上の真実と対比する精神的な真実です。これによって、法蔵菩薩の姿として、精神的な理解を得るパラダイム(基本的規範)が与えられ、これは、感謝、確信および献身的態度をもって念仏に生きる道の根拠として人の価値および自己概念を告げ、一方、これと同時に伝統の実際の歴史の意味を認めます。

法然上人の選択本願念仏集の中に描かれた浄土教の発展についての一般的な概念を比較すると、浄土教が歴史的に、教師がそれぞれ築き上げた一連の特色あるものから成長し、善導大師によって完成したことが分かります。この伝統では、龍樹大士は、仏教にある二つの道を区別したとされています、つまり、難行道と易行道であり、仏陀の精神の力に頼る方が自分の力で悟りを得ようと試みるより容易でるとされました。天親菩薩は一心論を提示しました。曇鸞大師はさらに龍樹大士の要点を強調し、仏陀から遥かに遠く離れた歴史の現況で、自力および他力を区別されました。一方、道綽禅師は、聖道門と浄土門という用語を導入し、末法の役目を強調し、骨の折れる出家僧の道と一般の人々の道の区分を強められました。

善導大師は、もっぱら阿弥陀仏に向けられる念仏の行、およびそれに伴うべき適切な姿勢に重点を置く体系を作るために、多くの教えを記す文章を集められました。大師は、すべての仏陀および菩薩に捧げる雑行、および阿弥陀仏のみに捧げる正行とを明白に区別しました。念仏を唱えることは、他のすべての行の中で正行になりました。他の行は、助行と名づけられました。法然上人は、正行を専修とし、助行を除外しました。

そのような変革によって、口頭で念仏を唱える教義は、浄土に往生し悟りを得るための主要な手段であると、はっきり確立されました。これらの解釈は、浄土教の影響を強く大衆に与え、出家僧でなく、知識人でない世帯主が、職場や家庭で日々の義務を果たし、なお且つ宗教的信心から精神的な恩恵を受けることを可能にしました。

初期の念仏の解釈では、黙想の修行と言う面に重点を置きました。念仏を唱える行は、仏教のすべての伝統の中で功徳を得る手段として用意されていましたが、より深遠でもっと厳しい悟りを目指す出家の道に必要な能力を欠いた人々のための、程度の低い、補助的な道であると一般に考えられていました。法然上人が念仏を唱える行が往生と悟りへの唯一つの道であると主張されましたので、念仏のお勤めに対する態度に根本的な変化が起こりました。念仏は、低い身分の人々のためだけではなくすべての人々ために最高どころか、唯一つの方法になりました。法然上人は、仏教の出家による聖道の修行では、千人のうち一人だけが悟りに到達するかもしれないが、浄土教によれば、百人のうち百人が浄土での往生と悟りを得るはずだと言われました。

親鸞聖人は、念仏の行に関わる心の状態に注目しました。これは、幾分親鸞聖人の知的性格と宗教体験の本質による所がありますが、また同様に他の仏教宗派が起こした法然上人の教えに対する批判からもきています。これらの批判に答えようと、親鸞聖人は、ご自身の信心を起こした源や基礎を明確にしようと努められました。従来の仏教では、悟りを得る願い、つまり菩提心を求める心に目覚めることが仏教修行の基礎でした。その典型的例はゴータマ(釈尊)でした、父の宮殿を去る前に、釈尊は、父が見せないようにした、病気、老年および死の人間の問題を観察されてから、悟りを求めて深く目覚められました。一生の間にご自身でこれらの条件をいつでも経験するかもしれないと意識されために、ゴータマは、これらの人間生活の問題の解決策を求めて、家を出、恵まれた快適な生活を捨て、行脚する難行僧になられました。

ゴータマを自分たちの模範例として、多くの仏教僧が自分なりの方法で人間の苦痛の現実に遭遇し、悟りを求めて厳しい仏教の修行に専念しました。従って、悟りを達成しようとする願望は、仏教の道に入門する動機の必須な要素になりました。

浄土教仏教の発展において、善導大師は、念仏の行は、その行を有効なものにする態度と動機と関連あるとしました。観経に基づいて、善導大師は、安心、つまり信心( 文字通りに、「心を静める」、)の原理が三つの心を持つという意味があることを示しました、即ち、真実の心、深い心、および功徳の回向によって浄土で往生したいと望む心です。さらに、善導は、様々な行を行なう場合にとるべき方法には、様々な態度があるとして、これらについて概説されました。すなわち、今ここに衆生が浄土に往生できる行があっても、念仏を意味あるものにできるためには、適切な精神的な動機か気持ちの上からそうしたいと言う動機づけをもたなければならないとされたのです。

法然上人に至って、さらに変更が加わりました。善導大師は、念仏には、これらの様々な形をとる精神的な心の態度が伴わなければならないと教えました。法然上人にとっては、このような態度を意識的に感ずる必要はないとされました。もっと正確に言えば、これらの態度は、念仏を絶えず称えれば、自然に、また、無意識に起こるであろうと説かれたのです。当時の多くの人々にとって、法然上人は、基本的な仏教の教義である、悟り願望(菩提心)および念仏は真に精神的な行であると主張する見方を捨てられたかのように見えました。

親鸞聖人が貢献されたのは、丁度この時点です。ご自分の経験から、法然上人と同様に、聖人は、私たちにうそ偽りがないか、信心が十分か、或いは ―唯円房が浄土に行きたいと思わなかったように―私たちは、実際にこの世に対する未練を克服することができるか決して確かではないことを認められました。従って、この称名の行は単純で容易でしたが、これらの善導大師がいわれるような精神的態度は、衆生が達成するには相当な障害であり、大きな不安の源でした。この条件があれば、人々は阿弥陀仏の慈悲および必ず救われるという保証から切り離されてしまうように見えることになります。

親鸞聖人には、神話の中の法蔵菩薩および歴史に残るゴータマ仏陀の例が示すように、仏教の基礎は、往生、或いは悟りに到達する深い精神的な決心と動機を持つことにあることが分かっていました。親鸞聖人は、阿弥陀仏の名号を聞き、仏の本願にある慈悲、信心あるいは信頼に気付くにつれて、不可思議なことに浄土に往生しようという気が起こると主張され、これらの二つの考えを合せられました。これは、人間の計算あるいは熟慮に基づいて要求する信心ではありません。むしろ、自発的に、自然に(自然法璽)わき出る信心です。信心は、私たちが気付くと、「与えられた」ものとしてやって来ます。これを、親鸞聖人は、阿弥陀仏からの贈り物、仏の真実の心を戴くことと考えておられます。

教えを聞き、よい教師に遭遇した瞬間に、阿弥陀仏の真実の心が授けられ、阿弥陀仏の本願を信じ、浄土に往生する望みが起きます。この過程で阿弥陀仏の真実の心として、私たちの心の中に仏性―或いは一般の大乗仏教の教えでは、すべての衆生に授けられている仏になれる可能性―が呼び起こされます。

親鸞聖人は、浄土に往生せんと願う信心は、自己の力で出来る信心ではなく、仏陀の慈悲にあふれたお働きの現れとして私たちの心の中で自然に発生し、仏性が私たちの心の中で働く、自発的な信心であると、述べておられます。これこそ、信心の贈り物および究極の悟りが得られると言う保証に感謝する答えとして、私たちが念仏を称える気持ちになるのです。教行信証の信巻の序文で、親鸞聖人は次のように記されています:

それおもんみれば、信楽(しんぎょう)を獲得することは、如来選択の願心より発起

す。真心を開闡(かいせん)することは、大聖(釈尊)矜哀(こうあい)の善巧(せんぎょう)より顕彰せり。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教デー     タベース 顕浄土真実教行証文類三 信巻)

(現代語訳)いったい、考えてみると、わたくしたちが真実の信心をうるのは、阿弥陀如来の選び抜かれた本願のお心より起こってくるものであり、まことの心を聞きあらわすのは、釈迦牟尼仏の深いあわれみによる巧みな手だてによって、明らかになったことである。(「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 236頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

その後、三心の問題について議論され、鸞聖人は、これらの心は、各々がそれ自体阿弥陀仏の贈り物であると述べられています:

如来の至心をもつて、諸有(しょう)の一切煩悩悪業邪智の群生海(ぐんじょうかい)に回施(えせ)したまへり。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース 顕浄土真実教行証文類三 信巻)

(現代語訳)如来の真心から、煩悩と悪行と邪な智慧にまみれたすべての世界の人たちに回らし、施されたのである。(「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 253頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

また、さらに:

如来、苦悩の群生海を悲憐して、無碍広大の浄信をもつて諸有海(しょうかい)に回施したまへり。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース、顕浄土真実教行証文類三 信巻)

(現代語訳)如来は、苦しみ悩む一切の人々をいとおしみ、あわれんで、なにものにもさまたげられない広大な清浄の信心を、さまざまな迷いの世界に回らし施されたのである。(「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 256頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

また、最後に、聖人は以下のように記されています:

〔次に欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。すなはち〕

真実の信楽をもつて欲生(よくしょう)の体とするなり。まことにこれ大小・凡聖、定散自力の回向にあらず。ゆゑに不回向と名づくるなり。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース、顕浄土真実教行証文類三 信巻)

〔欲生というのは、すなわち如来がさまざまな迷い世界の人々を呼び寄せようとするお招きの言葉である。とりもなおさず、〕それは真実の信楽をその本体としている。これこそは、大乗と小乗、愚かな人と聖者、心静かな観想(定)と普通の心でおこなう善(散)など、こうしたすべて自力の心をもって回向するものではない。だから、これを不回向と名づけるのである(「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 261頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

これらの思想の基礎を背景として、どのようにその信心や上に述べたこれらの心が私たちに来るのかという?疑問が生じることがあります。この点で、仏教の伝統は、親鸞聖人に非常に重要な影響を与え、また、現代の宗教の議論に特に大切です。信心が私たちにどのようにやって来るかを理解しようとするに際して、私は、正信偈―真宗伝統の発展の歴史を概説した―が、教行信証中の行巻の終わりに置かれ、一種のきずな、或いは、橋渡しとして本願の信心の基として、仏陀の働きと人間の生活状態が一緒にまとまられているのは、偶然ではないと思います。この本文を最近英訳された編集者達は、つぎのように指摘しています:

正信偈は、行巻の章の終わりに置かれて二つ章、つまり行巻と信巻の間を接続する蝶番(ちょうつがい)の役をしています。このことから、この聖歌が重要な役割を果たしていることが容易に分かります。現に、「行」(修業)および「信」(信心)の解釈および両者の関係は、法然上人の弟子達の間の論争の中心課題でした。ほとんどの者は、上人の念仏の真の意味を理解せず、「行」という言葉が口頭で称える念仏(南無阿弥陀仏)を意味するととりました。この解釈は、「自己」努力についての考えと結びつけると、阿弥陀仏の力による救いの真情を誤解する傾向がありました。法然上人の弟子のうちの一人であった親鸞聖人は、「行」が人の努力に基づく修行ではなく、仏陀の本願から発するおはたらきであることを明らかにされました。

これは、つまり、浄土に私たちが往生するのは、私達に与えられている仏陀のはたらき(つまり、阿弥陀仏の名号の功徳)によるものであって、念仏を勤める私たちの功徳によるものではないと言うことです。親鸞聖人の解釈では、信心(信)は、私たちに与えられた阿弥陀仏の心を意味し、私たちが精神的に同意して得た信心や信仰ではありません。

このように親鸞聖人が起こされた行および信が真宗教義の基礎的な特徴を構成しています。歴史上では、普遍的な意味を備えた名号を称える行は第十七願に基づいています。:

たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟し

て、わが名を称せずは、正覚を取らじ。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース、仏説無量寿経、或いは、大無量寿経、略して大経)

(現代語訳)わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りないほとけがたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。

(浄土三部経(現代語版)仏説無量寿経 二十九頁 本願寺出版社 平成8年3月)

事実上、この本願を成就する教えとして、浄土教の伝統が歴史に現れ発展してきたことを知れば、この教えは、単によく知られているような、大衆の気質に合っているから正しいとする伝統ではなく、仏陀の普遍的な慈悲の具体的な表れとして、阿弥陀仏本願の過程に基づいています。

浄土教伝統において師による違いがあり、親鸞聖人の信心の受理に対する解釈を直接文献に支持する原文がありませんが、歴史を越えた慈悲の実現をはかるのに、聖人は、浄土教教師を鎖を結ぶ輪として表すことで、これらの師の間に本質的な統一性があった主張されました。

この解釈には、二つの特徴があり、説明が必要です。伝統の解釈は、表面的意味と内面的意味の両方の点から見ることができます。親鸞聖人は、複数の経典について次のように述べられています:

まことに知んぬ、これいましこの『経』(観経)に顕彰隠密の義あることを。二経(大経・観経)の三心、まさに一異を談ぜんとす、よく思量すべきなり。『大経』・『観経』、顕の義によれば異なり、彰の義によれば一なり、知るべし。http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース 化身土巻 顕浄土方便化身土文類 六)

(現代語訳)以上によって、いまこそ、この『経』に「顕」と「彰」の二意があることをはっきり知った。さて、『大無量寿経』と『観経』の二経に説く三心について、これからその同異を論ずることになるが、これについてはよく思いはかろうと思う。『大無量寿経』と『観経』は「顕」の意によるときは、異なっているが、「彰」の意によるときは、同じである。このように知ることができる。「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 367頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

親鸞聖人は、経典本文の明示的/表面的な意味と黙示的/隠された意味とを区別することで、浄土教伝統にある相容れない諸点を調整し、統一されました。真宗の伝統では、さらに親鸞聖人個々の、独創的な進め方を浄土教で強調する度合いを変えて調整する手段を作り上げました。これは、伝統と己證??つまり、親鸞聖人が育てられた個人のお考えとの関係でした。表面上では、伝統が、親鸞聖人の教えと矛盾するように見えますが、深く掘り下げると、黙示的には、生きとし生けるものをすべてを救う阿弥陀仏の意図を表しています。

本質的には、親鸞聖人の貢献により、浄土教の伝統がしっかりした教義の基礎の上に統一され、変化を認め乍ら、その一方で仏陀の本願からのおはたらきとして伝統の全面的な歴史的な統一性をさらに維持する歴史観が打ち立てられました。したがって、伝統は単に偶然の出来事ではなく、また性格上実用的ではありません。精神的な現実に根付いた過程です。

阿弥陀仏の本願および慈悲の働きに信心の体験を結びつけることによって、親鸞聖人は、生き生きとした宗教体験の基礎を築いています。この現実は日常生活から分離したものではなく、人間の生きている範囲に現われて、人々にもっと深く掘り下げて理解しようと励ます力になり、それによって自然と信心が固まります。 親鸞聖人にとって、歴史は、私達の毎日の生活で出会う矛盾や苦しみに拘わらず、意味のある精神過程であり、すべての衆生を悟りに導いてくれます。

この見方は、先に述べた、親鸞聖人が歴史に対してどう対応されたかを他の鎌倉仏教徒の対応と比較した記述に照らして重要です。親鸞聖人は、ご自身の心の現実の姿として歴史を生きてこられました。末法時代は、ご自身にとって退廃的な現実でした。私たちが歴史および生活を直面するがままに受止めるのは、それが阿弥陀仏の慈悲によって抱かれているいう事実に基づいています。その慈悲を見出すのに限りのある、毎日の生活環境から出る必要はありません。一旦私たちの目が本願に対する信心を通じて開かれ、それを感ずれば、私たちの毎日の生活で何処を向いても、お慈悲に直面することになります。

現代において、人々は生存の意味および歴史に生きる中で自分が誰であるかを見出そうと努力しています。私たちの大量な都会的・技術社会では、顔の見えない大きな力によって、人間を意のままに廃棄する物に変えてしまう手段や技術に支配され、私たちからどんな個人としての意味を持っていても、それが奪われる恐れがあります。

親鸞聖人の本願と歴史に関する理論および浄土教伝統の解釈では、私たちの世界が不合理であっても、阿弥陀仏の慈悲が私たちの時代に現実になるように、私達自身がその通り路になることで、生存の意味および前向きの生活方法を見出すことができると教えています。現代のみでなく何時の時代でも、私たちは、第十七願で名号を褒め称える仏達です。恐らく、「褒め称える」と言う言葉の意味を拡張すれば、私たちは、確かに阿弥陀仏の慈悲の表れと啓示である、この世の多くの形の行動を含むことができる筈です。

ご自分の生活体験を通して、親鸞聖人は、精神的な現実および真実に出会う媒体として、伝統の意味に立ち入った見方を取得されました。この出会いで、聖人の生活は、転換され、人にこの教えを分かち合いたいと言う使命が賦与されました。歴史的発展を続けた真宗仏教は、途中で紆余曲折がありましたが、この使命とその目的を現代まで持続しています。

親鸞聖人の見解では、伝統の重要性が高められ、同時にさらに伝統を変えることを許しています。真実は歴史に密着している一方、それを超越もしなければなりません。

真実が単に歴史上の産物であれば、私たちの確信を保持し、かつ人類にとって大変重要な問題点を明らかにする力を維持する能力を失ってしまいます。したがって、真実は、人間の動機や行動が曖昧であることに左右されがちの歴史を越えた何かを表わし、指図しなければなりません。

精神的な秩序に基づかなければ、真実は単に相対的なものになります。真実をより深く理解しないと、私たちは、変化と新規さだけのために変化を求めることがあり、精神的な拠り所を失い、時間の流れと共に漂うことになります。私たちは、人間の情熱や暴力が激しい、変化の激しい流れにいても、持ちこたえられる、しっかりした場所を必要とします。浄土教思想が発展する中で、宗教的行動と生活への取り組み方で、思想がより普遍的でより精神的になるとともに、広がりや深みが増し、親鸞聖人によってその発展が頂点に達しました。既存の伝統(聖人の鎌倉時代)の背景がなかったならば、親鸞聖人自身の意識と思想過程が鼓舞され、伝統をより深く調査しようという気が起らなかったでしょう。聖人が伝統を無視して、単に単独でご自身の解釈をなされていたならば、そのような解釈は、ほとんど注目を浴びることがなかったでしょう。

親鸞聖人は過激分子のように思われるかもしれませんが、言葉の最も真実に近い意味では、過激分子とは、物事の根本に取り組む人です。聖人は、これらの根本を大事にせずに、根こそぎ切り取ってしまう人を意味する、今日使用されている否定的な意味での過激分子ではありませんでした。仏教の伝統に立ち向かわれた親鸞聖人は、ご自分の見解を伝統に基づいたものにされました。聖人は、浄土教の思想をそれまでの単純な手段、つまり、精神的に無力な人達に便宜を図る教えから、取り出されて、時と空間に拘わらず普遍的に適用可能なものにされました。浄土教は法の最後の時代(末法)の人々に向けたものでしたが、聖人は、何時でも適用可能だと指摘されています。:

悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。(http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教デー     タベース 顕浄土方便化身土文類 六 〔67〕)

(現代語訳)悲しいことだ。煩悩にけがれた愚かな身でありながら、無始よりこのかた、助業・正業をまじえ、定散二善〔訳者、定心と散心、いずれも自力〕の心をまじえたために、ついに迷いをのがれるときをもつことがなかった。「日本の名著6、親鸞」石田瑞麿編・訳 391頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

その後、親鸞聖人は、聖道の行が退廃的な時代に当てはまらず、一方で浄土門が何時の時代にも当てはまることを示されました:

まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時 機にあらず。すでに時を失し機に乖(そむけ)るなり。浄土真宗は在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。 (http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/database.htm 『浄土真宗聖典』聖教データベース顕浄土方便化身土文類 六 〔69〕)

(現代語訳)まことに、聖道の教えはすべて、釈迦仏の在世のときと正法のためのものであっ て、まったく像法と末法、その後の法滅の時代や人に応じたものではないことがわかる。す         でに時を失い、その時の人にも背いている。

これに対して、浄土の真宗は釈迦仏の在世はもちろん、正法・像法・末法および法滅のとき            も、悪に汚れた多くの人々を等しくお導きになるものである。(「日本の名著6、親鸞」石田瑞 麿編・訳 391頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)

禅師道元のような他の仏教の師等は、古代の瞑想の行が何時の時代にも適用可能であるとし、浄土教の教義が主として最後の時代(末法)の弱者のための教えだと考えました。しかし、親鸞聖人は、仏教の行について普通理解されていることとは、逆にされました。聖人には、現実には、他の行というものは、人々がこれらの行を通じて悟りを得なかった時、唯一の希望の源として浄土門に入るための単なる準備に過ぎないことが判っておられました。聖人にとって、浄土道は、このように何時の時代でも最高の教えであるとお考えになっています。

このように教えの進め方が仏教のシンボルの点から正しいと言ってよいでしょう。というのは、人間性が数千年の仏教の歴史を通じて、法然上人が行った仏教の行の変更が正しかったと認める程に、著しく変わったことは、ほとんどなかったと思われるからです。

親鸞聖人は、ご自分の師より恐らく明敏で、人間の問題が時代と場所に拘わらず普遍的であることを悟られていました。何時の時代でも、人々は、利己主義と誇りの病に罹り、宗教的な努力を曲がった方向に向けてしまいます。親鸞聖人にとって、浄土教は、単に歴史上の変化だけとではなく、何時も付きまとう人間の問題と関連しています。このようにして、教えは「一つの」真実であるより、「唯一つの」真実として、もっと絶対的なもの、つまり、もっと端的には、真実への「一つの」門ではなくて、「唯一つの」門になりました。

親鸞聖人が伝統を独創的に取り組まれたことから、聖人の体験とお考えは精神的に深く根ざしておられたことが伺われます。聖人がご自分の個人的問題と取り組み、自身の状態を現実的に正直に理解されるようになられるにつれて、浄土教の思想の持つ意味をもっと鋭く探求されました。聖人は、ご自身で得られた見方を通じて、伝統をより強固な精神的・哲学的な基礎の上に築き上げました。過去の浄土教の発展に関して、聖人は、信者が嘗て直面した数多くの問題に答えを提供しました。不運にも、聖人の教え微妙なために、後世の日本の宗教的伝統において、教えのもつ精神的な可能性が十分に満たされ得ませんでした。