第16章 — 第十六章 現代社会の浄土真宗

 浄土真宗が社会に果たす役割を理解する前に、真俗二諦(しんぞくにたい)、つまり、出世間的(絶対的、宗教的)真理と俗世間的(世間一般、世俗的)真実、あるいは仏法と王法[王による世間的な法])という二重性を持つ真理の教えについて考慮しなければなりません。この教えは、浄土真宗が使用したイデオロギーとして近年著名になりましたが、それは、国家主義を高揚し、日本が西欧諸国と同等な地位に立った世界の強国としての地位を確立するための第二次世界大戦で、日本の軍事目的を支えるためでした。

  この説は、敗戦のため、浄土真宗で最も厄介な思想の一つになり、多くの現代思想家から鋭い批判を受けました。その理由は、この教えを現代的に解釈し受け入れるのに、仏教を世の中の慣習や社会倫理と完全に同化させず、世の中で人々がしなければならない義務に異なる二面があることを意味し、同時にこの世の諸問題については国の方針を尊重しているからです。

  真理に二面があるという区別は、インドのナーガールージュナ(竜樹大士、150-250 CE)の「空」の教えに基づく中観派(マードヤミカ、Madhyamikan)仏教哲学の伝統に発していて、また、聖人の浄土思想の核心にあることが分かります。(中観派(マードヤミカ、Madhyamikan)哲学は中道或いは中間を意味し、すべての極端な考えを捨てます。 竜樹大士の見方は 短詩  「中論」(Mula-Madhyamika-Karika-sastra)と 『廻諍論』(えじょうろんVigrahavyavartani)、に述べられています。大士の教えは、言葉と世界または現実との関係について説き、万事空であることを明らかにし、言葉、思想、物事に執着するのを止めるため、すべての考えが不条理であるときめつけます。(参照文献 Douglas D. Daye, “Major Schools of the Mahayana: Madhyamika.” pp. 76-98; Charles S. Prebish, editor. Buddhism: A Modern Perspective. (University Park, Pennsylvania: The Pennsylvania State University Press, 1975.) 竜樹大士は、空、かりの実存、と中道について解釈する摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)の注釈書である、かの有力な大智度論(だいちどろん)の著者とされています。 親鸞聖人は、竜樹大士が大乗伝統の宗祖であり、釈尊の予言通りに海底の竜宮から仏教の真理をもたらしたと広く信ぜられていることに即して竜樹大士をご自分の第一の高僧として選ばれました。

  親鸞聖人は、曇鸞大師(親鸞聖人が師事された七高僧の系列の中で第三番目である中国の祖師)に多大の影響を受けました。大師は中観派のsunyata、つまり、空の概念 を浄土教思想の基礎として適用されたことで知られています。親鸞聖人は、この教義が阿弥陀仏と浄土の概念を理解する基本であると考えられました。

  出世間的(絶対的、宗教的)真理と俗世間的(世間一般、世俗的)真実という「二つの真理」についての哲学的な中観派の考え方があるために、阿弥陀仏と浄土の概念が単なる神話である必要がなくなりました。親鸞聖人は、従来の形に表れた阿弥陀仏は、一つの手段であって、それによって私たちが、自分達の救いの基である、不可思議な、形のない現実の仏について考えることができると主張されました。(聖人の著書、「自然法爾章」の中で親鸞聖人は言われています。「この上ない仏といいますのは形もおありになりません。形もおありにならないから自然というのであります。形がおありになるように示すときには、如来のさとりをこの上ないものとはいいません。形もおありにならないわけをしらせようとして、とくに阿弥陀仏と申しあげる、…」と((「日本の名著6、親鸞」、石田瑞麿編・訳 109頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版)。善導大師の観経疏(かんぎょうしょ)にある次の一節は二つの真理の相互関係を仏に関する考え方で関連させたものとしてよく知られています。「多くの仏・菩薩には、二種の法身(ほつしん)があって、一つには法性(ほつしょう)法身、二つには方便法身であり、法性法身によって方便法身が生じ、方便法身によって法性法身が現われるからである。つまり、この二つの法身は、異なっているが、離すことができないのである。一つであって、しかも同じとすることができないのである。(「日本の名著6、親鸞」、教行信証 石田瑞麿編・訳 322ー333頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版))

  しかし、後に浄土真宗では、もとの中観派の考え方と無関係に、この区別が社会問題の領域に適用されました。もっと正確に言えば、二つの真理に関する後世の真宗の見方は、かの有名な「末法燈明記」、つまり「末法時代を照らす燈火」にある見方と似ていました。聖人はお書きになったその文章について解説されていませんが、殆どその全体が親鸞聖人の教行信証に引用されています。そこでは、出世間的(絶対的、宗教的)と俗世間(世間一般、世俗的)の区別がもつ社会的特徴が述べられています。

   いったい、究極絶対の真実(一如)にのっとって世を導くものはほとけ(法王)であり天下           を家として国民を治めるものは仁徳の王である。したがって、仁徳の王と仏とはたがいに現             われて世の人を教え導き、仏の教え(真諦)と世俗の法(俗諦)とはたがいに助けあって       教えを広める。(「日本の名著6、親鸞」、教行信証 石田瑞麿編・訳 395頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版。 アンダーラインは著者による。)

  ここで「法王」は釈尊を意味し、「仁徳の王」は国家の統治者です。この一節の意図は、真諦(仏の教え))と世俗の法(王の法)は、国内の平和を促進するために、調和して共存すべきということです。これらの二つの真理の働きは、鳥の二つの翼あるいは車の二輪にたとえられ、それぞれが飛んだり移動したりするのに必要であるとされることが多いのです。しかしながら、この文の書かれた状況からは、当時の仏教サンガ(信徒と教団の集団)が政府の政策を賞賛するものではなく、むしろ実際には、仏僧および尼に対する政府の統制に反対する抗議なのです。「末法燈明記」は、戒律を破った仏僧および尼を閉め出すために798年に制定された政府の法律に対する抗議であるようです。

  親鸞聖人は、仏僧・聖職者等を厳重に統制した当時の政府を批評するためにこの文言を引用されたのです。言うまでもなく、仏教徒を独裁的に統制した政府を親鸞聖人が批判されたのには、ご自分が政治的迫害を体験されたことから来ています。親鸞聖人は、み教を広めるのに外部の人の援助をかりないどころか、外部による監督から念仏集団を自由・独立させようと図られました

「余のひとびとを縁として、念仏をひろめんと、はからひあはせたまふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ」聖人御消息集、現代語訳「ほかの力のある人々を頼りにして、念仏をひろめようと計画しあわれることを、けっしてしてはなりません。」(「日本の名著6、親鸞」、七 石田瑞麿編・訳 140頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版))

  浄土教は、最初からこの汚されたこの世についての判断を示唆しており、あの世の見方を説いていたにもかかわらず、社会と深く係わって来ました。真宗は在家運動として社会全体に影響を及ぼしますが、それは特に社会的や道徳的立場に関係なく人々を解放する絶対的な他力を強調するからです。

  出世間的(絶対的、宗教的)と俗世間(世間一般、世俗的)的な「二つの真理」の教えは、十九世紀の末期、明治時代から始まって、現代の浄土真宗で特に顕著になりました。明治政府は、その政治的目標を押し進めるため帝国・専制主義を国の内外に実施し、信仰心を国に向けさせることにより宗教を利用しました。浄土真宗の指導者達は最初この風潮を支持しましたが、これは第三代宗主覚如の息子存覚と本願寺第八代宗主蓮如の伝統にならったものです。(存覚はこの説に基づいて浄土真宗の批判者に対して反論しました。(著書、破邪顕正鈔(はじゃけんしょうしょう[真宗聖教全書三173頁])。後に、戦乱や社会変動の室町時代(1392-1477)に当時の既存の仏教宗派からの絶えない反対に面した、蓮如上人は反体制な弟子達に自分達の社会的義務を果たすよう諭されました。「まづ王法をもつて本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたを他宗・他家にみえぬやうにふるまふべし。」(御文章III-13; Minor Rogers,op. cit. pp. 215-216.)

  独裁的な徳川幕府(1600-1868)の倒幕時、本願寺の末寺は最初王政復古を目指して、財政的、人的に西の長州藩共謀者達を支持しました。その結果、浄土真宗は近代日本に大きな役割を果たし、門主広如(1798-1871)の遺訓に則り, 1872年に天皇への忠誠を尽くし社会道徳を守るように主張しました。(鈴木宗憲、「真俗二諦論批判」(教団)改革への発言(京都:永田文昌堂、1971、156頁)以来、み教えの解釈は、真俗二諦の範囲から見た国家主義の政治的な利害関係の影響を受けました。

  他の宗派も似たような教えを採用して社会の出来事に関与しました。しかし、浄土真宗が他の宗派の伝統とは違っているのは、出家生活が仏教の最も高い精神的な理想を実現するのに必要な環境あるとは認めない点です。さらに主張したことは、人が自分の心中で阿弥陀仏の本願に抱く信心を通して、究極に悟りを得ること、つまり日常生活の中で道徳的規範にとらわれずに菩提に到達すると約束されているということです。(浄土真宗聖典注釈版245頁「顕浄土真実信文類三」(教行信証の信巻)、CWS [#50]と[#51]参照「日本の名著6、親鸞」、教行信証 石田瑞麿編・訳 395頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版265頁[CWS #54]と[#55])

  例え一瞬であっても信心の一念時を体験すると仏教が目標とする自我の超越をかいま見ることができます。このような自覚は、私たちが断ち切れない利己的な、煩悩に悩まされた生活が浮き彫りにし、この世で私達が遭遇する道徳や社会問題に関係してきます。道徳やモラルは阿弥陀仏の慈悲を意識することから流れ出てくるのあって、単に国に支配されるだけのものではありません。

  真宗の僧伽(さんが)共同体の中では、親鸞聖人は信者達に世間の慣習および規範を尊重するように勧められましたが、 神々や仏を崇拝するのではなく、社会で為になるもととして尊敬し、他の信仰を持つ人々をあなどることがないようにと説かれました。(浄土真宗聖典注釈版786頁 A Collection of Letters, #4, CWS p. 563.)

    むしろ、真宗信徒はすべての人々と仲良く生きていくようにと説かれたのです。(浄土真宗聖典注釈版頁783, 787, 790, 807)。浄土真宗の絶対的な「他力」による救済の理念は、在家の運動として、宗教の信**仰と道徳的生活を一体にする教義が必要でした。

   この二元真理説は、厳密には、悟りへの道の意味を解き明かすことを目指した従来の意味での教義ではなく、信仰の要としてあの世について強調し、この世の義務として現在の社会政治的な秩序に従うべしと強調することで、み教え一般の解釈に影響する骨組みとして使われたのです。生活が、宗教と社会という二つに仕切られるようになったのです。(杵築宏典”「真俗二諦論についての一考察, もう一つの「戦時教学」1, 仏教史研究 (1990, 3-27)23-24頁。近代の論議においてこの二つの出世間的(絶対的、宗教的)と俗世間的(世間一般、世俗的)区分である真俗二諦論について色々議論されています。信楽峻麿教授は五つの学説があると考察されています。(1)真俗一諦説(一諦、つまり両諦が要は、同一)、        (2)真俗并行説(両者は並列し、別個)、(3)真俗関連説(両者が相互に関連・協同)、(4)真諦影響説(宗教的真理が一方的に他を影響)、(5)俗諦方便説(俗諦、つまり、世俗的真理は真の真理に到達するためのウパーヤ[方便])です。)

  宗教と社会について議論するのに、両者の関係を領域とか範疇に区分して考えることは役立つことがあり、この構造解析が有用だとしても、それぞれ区分の内容は注意深く考えなければなりません。

  帝国主義の影響の下に近代的発展を遂げた日本の情況では、信仰を社会に関係づけるすべての考え方は、結局仏教を社会秩序の下に置く結果になりました。二葉憲香教授は、天皇制および儒教道徳が優勢であった近代日本の社会では、浄土真宗があってもなくても余り関係なく、真宗の意味が失われたと指摘しています。(二葉憲香「日本仏教の課題ーもう一つの文化の構築に向けてー」(東京、毎日新聞社、1986)262 頁)

  真理の二つの領域を関連づける様々な考え方は、すべて日本の基本的な道徳体系として儒教の道徳観を仮定していますが、親鸞聖人は世間の価値観が究極・絶対のものであるとはお考えになりませんでした。聖人は菩薩戒経にはこういわれていると、教行信証に重要な一節を引用されています:

   出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」と。 (顕浄土真仏土文類五(化身土巻)102)

 現代語訳

  出家の人が守る規則は、国王に向かって敬礼しないことであり、また父母に向かって敬礼しないこと、血族世のものに仕えないこと、鬼神を礼拝しなにことなどである。(「日本の名著6、親鸞」、教行信証、化身土巻 石田瑞麿編・訳 423頁 中央公論社 昭和58年6月15日8版))

  親鸞聖人にとって、世間は嘘と欺瞞です。この世のどんな権威者でもなく、阿弥陀仏だけが善悪を判断する基なのです。(歎異抄、梅原猛校注・現代語訳、講談社昭和五二年第11刷発行、163頁)。二葉教授によれば親鸞聖人は仏教の教える無我(非我)の立場に立たれております。ですから、仏教のもつ真実は、自我の存在を仮定する自力と「他力」の歴史と二元性を超えるものです。阿弥陀の本願の中で、歴史を超越する「絶対的他力」は、人の信心に現われ、感謝(報恩)として形に表れ、他の人達と自分の信心を分かち合う、「自信教人信」として現われます。感謝の気持ちを本当に表すには人々と交わ、仏の真理を分かち合うことです。(教行信証、信巻 九四、「みづから信じ、人を教へて信ぜしむること」CWS, p. 120.)

  親鸞の教えの迫力によって、人々の間に思いやりと正義感が起こり、個人や世間の問題の解決に人間性あふれる答えを得ようとするでしょう。この教えは、他の人々がどのような伝統下にあったとしても、その人達と一番よい方向に向かって協力してやろうとする時、ひとつの基礎になれるでしょう。

  信仰が社会的義務と相互に依存・影響しあうという説は、今日広く支持されてます。この説では世の中の個人に向けたスピリチュアルな面の影響が強調されますが、全体として世間にかかる影響については、はっきりしてされていません。また、相互関係で決まるものなので、宗教に及ぼす社会の影響も、また、近年日本の歴史上起こったことですが、政府が宗教を操る可能性も指摘されていません。ここで、宗教界が社会や政治の世界を批評せよと言うのではありません。覚えておかなければならないことは、世界の至るところで政府および宗教指導者が宗教のお墨付きを笠に着て、宗教を広範囲に悪用し、人々が自国に全力をあげて献身するようにさせたことです。

  日本の浄土真宗門徒は、一般に戦時経験から学習し、親鸞聖人の教えの持つ意味を社会に伝え、もたらすように積極的に努力しています。戦後の日本で、本願寺は差別を克服する運動でのリーダーで、再軍備を許す憲法改正方針に一貫して抵抗してきました。また、戦死者を祀る神道靖国神社の再建に抵抗する一方、核兵器の開発に対する強固な反対運動を展開してきました。また、無批判に戦争努力を支援した責任を公に認めてきました。今、社会を一人一人が平等で尊厳な世界に改めていくことになる親鸞聖人の歴史的意味を取り戻すことが重要です。それは、信心と歴史を本当に理解することでこのような世界を作り上げることが浄土真宗のなすべきことであり目的です。

  近時の日本の過去を批判することで、信仰と社会の関係をもう一度もっと新鮮な目見直す機会に恵まれました。海外の民主社会に住む浄土真宗門徒は、さらに自分達の近代社会の環境の中で宗教と道徳との関係を解釈し直さなければなりません。そしてみ教えを説く際に、無意識にまだ残っている、伝統的な儒教の道徳内容と帝国主義社会で許されていた事などを取り換えなければなりません。西洋の浄土真宗サンガ(出家・在家の集団)で育成しなければならないのは信心という環境に基づいて、かつ、そこで受け入れられる、もっと積極的な姿勢です。

  民主的会で予期されていることは、自分達のスピリチュアルな価値観と理想を社会で実現しようと努力するか、あるいはそれらを与えられた問題解決に応用しようと努力することです。しかしながら、この努力は個人の権利を尊重した合意の上でなされなければないのです。本当に民主主義に従ったやり方では、明らかに宗教に根ざす問題であっても、個人の信仰を無視して、すべての人が守るべき法律を制定する試みは通らないでしょう。

  宗教を政治的に統制するとか、政治目的に使用しようと努めることは、すべて社会と国の両方の側から拒否しなければなりません。従って、宗教を国政から分離することは不可欠です。このような分離には、次のような宗教上の根拠があります。それは、お寺で礼拝時に唱える「重誓偈」(じゅすいげ、法蔵菩薩がすべての衆生を救いとろうという四十八の願をおこされ、その願いをかならずなしとげることを誓われた偈(うた)です。「浄土真宗・礼拝聖典」、本派本願寺ハワイ教団発行、1986年4月)や「讃仏偈」さんぶつげ、法蔵菩薩が師の仏である世自在王仏を讃え、すべての迷える者をすくおうという願いをおこし、自身がたとい苦難の毒に沈もうとも、必ずやりとげることを誓われたうたです。同上)にあり、どちらも大経から採ったものです。この中で、菩薩は苦しみにあえぐ人々、貧苦の人々を解放することを誓われています。さらに菩薩は仏法の宝庫を広く開放し、絶えず、ライオンのような大きな声で法を説くと宣言されてます。仏教は強い社会意識がないとしばしば非難されますが、伝統的に、仏教が常に人々の福祉を広く懸念してきたことを示す幾多の材料があります。

  民主主義国家で宗教を信仰する者は、自分達が理解している現実を他の人々が受入れるよう、個々に説得する権利があります。同様に、社会問題では、宗教人は個人として、グループとして、法律の制定に関して自分達の見解を知らせ、社会の福祉にどのように実際に貢献するか示すのがよいのです。ですから、単に自分達の宗教的見解に賛同するよう要求してはならないのです。私たちが歴史を通じて学んだことの一つは、何もしないことが人々に大きな苦痛を引き起こしうる行動であることです。したがって、個人と同様に宗教団体も社会で討論し、自分達の見解を述べ、かつ最善を尽くして考慮・研究した結果、その立場を表明する余地が与えられています。

  二葉教授は、浄土真宗を単に精神的、あるいは来世の問題だけを扱うように制限してしまうと、社会にとって無関係な存在になってしまうと言っています。教授が取り上げた主要な問題は、歴史と信仰がどのように相互に作用してきたかです。信仰は常に歴史の中に根付いており、それが意味することは、今日私達が生きているこの歴史上・社会情況下で「仏を通じて]永遠の命を体験しているということです。浄土教を通じて表されている真理は、常に歴史上の生活を通じてそれが何を意味・表現されているか知らなければなりません。宗教的信仰により、歴史を越えて私たちは究極の悟りを得る望みを得ますが、その真理もこの世で現実のものになるべきものです。

  西欧の社会情況下では、永年伝統的に社会問題の解決に宗教が影響してきましたが、それは単に社会の法律に従順に従う善良な市民を作るだけでなく、人々が積極的に社会を変える力となるよう促すことでした。社会正義に無関心な慈悲は真の慈悲とは言えないでしょう。飢えている人に食物を与えず、その人が何故飢えているかを追求 しないような人は慈悲心があるとはいえません。宗教団体が社会問題に対処する際、問題が困難で複雑であるからといって、何らか解決法を見出す努力を払ったり、実態に対して識見を与えるべき責任を逃れるわけにはいきません。

  社会の初期の歴史上の条件およびそれによって浄土真宗の教えが影響を受けたことは一応さしおいて、浄土真宗は、真俗二諦という二つの真理説の従来の解釈を越えて進まなければなりません。民主的社会へ全面参加するには、信仰者は、個人やグループとして、社会の多くの問題に気配りし、実態にたいする識見を提供しなければなりません。こうすれば、浄土真宗自身が社会の中に解き放され、同時に社会の人々を解放することになるでしょう。